Seyn

Sein ー ザイン、西洋の哲学はギリシャ以来、このザインを中心に回っている。
英語ではbeにあたるが、英語圏ではこの概念はニュアンスを若干異にする。
日本では”存在”と訳されるが、概念そのものがない。
この国(日本)には、そもそも形而上学(哲学)そのものが存在しない。

わたしは西洋2500年間、多くの思想家を悩ましてきたこの問題に、簡単に答えを出そうとはおもわない。
しかし、あえて言うなら、このザインは”現象”と置き換えてもいいかもしれない。

現象の基になるものがザインではないかという疑問もあろう。しかし、この現象そのものこそ、本質であるととらえるのである。

この世を仮象の世界と捉えるプラトン以来の考え方ではなく、さらにそれ以前の古代ギリシャや古代インドの哲人、大乗仏教哲学にも見られる考えかたである。
近代では、現象学を唱えた、フッサールもこの考え方に近い。

仮称の世界の背後に最高のものを想像し、探し求める必要は無い。
私たちが日々目にするものこそ、最高の真実であり、美であり、価値である。
大地から伸び上がる木はそれを象徴している。

この世は可能性ー現象 の世界であり、運命と呼ばれるものもまた同じである。
どの可能性を選びだすかは私たち自身なのだ。


撮影、Canon 10D, Lens EF24-70mmF2.8
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by schale21 | 2006-03-13 21:46 | 詩と文学 | Comments(5)
Commented at 2006-03-13 22:07
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Commented by schale21 at 2006-03-14 07:59
kojiroさん、関心をお寄せ下さりほんとにありがとうございます。
色即是空は般若心境の教え、概念ですね。この教典では”空”が意識的に強調されているようです。空概念は西洋にはない、東洋文明の深い知恵です。しかし後者の人々は、空を結局は限りなく無に近いものとして解釈したようです。
ここでいうザインとは、空のさらに根源、究極の根源をさすものです。
その究極の根源は、結局、私たちの軽んじてきた、日常の存在ではないかというのが私の趣旨です。
こじろうさんの作品からも、実は近いものを感じています。
Commented at 2006-03-15 15:40
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by schale21 at 2006-03-17 21:54
konishiさん、お返事遅くなりました。あありがとうございます。写真とネットを通して、様々な分野のかたのお話が聞けるほど素晴らしい事はありません。
自分のテーマは写真をもとにしてはいますが、文学的な考察が多くなっています。それでいいのか迷いもあります。コメントといただけて嬉しいです。
どの分野でも、本質、基本が大事であることに変わりはないと思います。現代はあまりに皮相にながれるあまり、大切な事を忘れがちなのかもしれません。その意味で、konisiさんの写真の人間的な側面に強く僕もひかれています。
Commented by Dr.クランケ at 2009-01-13 21:33 x
 私は存在に対していささか違う意見があります。
 難しい宗教や哲学の知識を添えて言語化してもいいのですが、それでは本来の言いたい事自体の論点を狂わしてしまいそうなので、簡潔に書きます。
 存在とはズバリ「架空の枠組み」ではないでしょうか?人間がこの世界という箱の中で世界自体の外観である枠組みを確認することができないという不可知論的な矛盾やジレンマに対して、その在り方を仮想することによりとりあえずは定義づけた姿がザインのあるべき姿かと思います。
 それに対して、時間もしくは現存在という様なものこそが現象というナの私たち人間や世界の万象を指すのだと思います。
 
 私も科学に生きる身、モダン文化の中ではぐくまれたアメリカ社会などの現実主義、唯物的な考え方は嫌いではありませんが、哲学もとい形而上学においてメタ的な探求点は否定できないかと思います。より仮想であり、より幻想であり、よりリアルさを欠くことも重要です。
 なぜなら唯心論的にいえば人間はつきつめてもこのメタ(心)というあり方から逃れることはできないのですから・・・・。
 


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