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極北の光 2  サーミ人の揺かご

遊牧民に歴史はない。
それは歴史記述が欠如しているからである。
そこにはただ日々の生活と、それを支える文化があるのみである。

人間が、自らの事績を記録に止めるようになって以来のことを有史と呼ぶ。
前漢時代の文官、司馬遷や、地中海世界(当時の全世界)の歴史を綴ったヘロドトスは、人類最初の歴史家とも呼ばれる。
確かに、体系的に、また、歴史記述を一つの世界観の表明、あるいは一つのモラルの体系に基づいて記述したという意味では、現代まで至る、その後の歴史記述の先駆けとなったといえるのかもしれない。
つまり彼らは、歴史を一つの意志にもとづいて創造した最初の人間だったのだ。

しかしそこには、すでに体系的記述をなすにふさわしい、長い興亡と衰退の歴史があった。
彼ら以前の歴史は、しばしば神官等によって神話として記述され、あるいは聖典として、あるいは人類史に残る偉大な叙事詩として、今日の我々にまで深い影響を与え続けている。
しかし今日まで残るそれらの古代の神話の多くは、都市文明、農耕文明が産まれて後のものである。

農耕によって人類は定住文化を生み出した。
その狩猟、採集文化から、農耕、定住文化への移行は、人類の歩んだ最も劇的な変化であったと言われる。
おそらく、それに次いで本質的な変化は、産業革命、エネルギー革命によってもたらされたものであろう。

それ故、概ね歴史の始まりとは、この最後の氷河期が終わりを告げ、間氷期に入った1万年ほど前のこととされている。
この時に人類は、最初の都市とその城壁を築きあげ、富の蓄積をはじめ、それによって様々な専門的な職業集団を生み出し、軍隊を組織立て、権力の集中とそれに伴う権力行使の手段、その機構を生み出したのだ。

だが、この新しい文明はまた、恐らくそれまでにない決定的に新しい性格を有していた。
それは、自然を自らの意志に添うものとなるよう働きかけ、それと戦い、操作し作り変え、ついにはその支配者として君臨することを願うという性格である。
今日にいたるまで、仕事をする、あるいは何かを成し遂げるとは、概ねこの自然への操作、自然との戦いを指しているといってよい。

そしてこの働きかけを行わないものは、その行為にどんな努力を注ごうとも、どれほど純粋な動機に突き動かされたものであっても、通常の意味で仕事とは見なされることはない。
ここに自然は、克服されるべき困難、そのままでは人間に艱難辛苦をもたらす敵と見なされるようになったのだ。

私達は、歴史の記述において、また、文明の評価において、そして個人の行為の評価において、つねにこの基準を持ってしてその判決を下してきた。
つまり、人生の成功、あるいは力の行使などは、常にこの敵である自然との関係性の中で捉えられてきたのである。

すなわち自然は計画しうるもの、管理しうるものであり、その未来もまた、私達の手中にあると。
そして、ついにはその力の行使という理想は、その運命論的、決定論的思考に促されながら、遺伝子の改変の中に実現されようとしている。

私達はもはや、自然が私達に与えてくれた何物をも、もう感謝をもって、そのままでは受け取ることができないのだ。

そして今、全てを手にし、そして同時に全てから断絶した我々は、生きる屍骸となって、この惑星を亡霊のように徘徊している。
あたかも艱難の果ての勝利の歓喜の絶頂に満ちながら、自らが破壊した廃墟のただ中で、すべてを喪失し立ちつくす兵士のように。。。。

ああ、どうして涙なくして、この悲劇を堪えることができよう。
どうして、死に至るほどの痛恨に苛まれることなく、私達自身が産み出した惨劇と、この恐るべき孤独を支えることができよう。

すでに18世紀において、私達が歩む道が、決定的に間違いであり、惨劇をもたらす破滅の歩みであることを知るものはいた。
ルソーはその最初の一人であったのかもしれない。
ヘルダーリンやニーチェは、その悲劇を、自らの精神の崩壊を持って体現した。
ドストエフスキーやトルストイの叫びは、全存在を賭けたものであった。
しかし、彼らに本気で耳を傾けるものは皆無であった。

私たちは今、歴史の一つの終着点に立っている。
この非人間であることを強要される世界から、再び私達自身を取り戻すことはできるのであろうか。
また、再び、私達が奪わざるを得なかった生に対する感謝と、悔悛、そして責任の中で、自然からの贈与である富を分かち合う世界が、そして静寂な祈りに満たされ、許しを乞える日が来るのであろうか。


遊牧民に歴史はない。
それは彼らが、過去や未来にではなく、今に生きる人々だからである。


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写真 EOS1Ds EF24mmF1.4 EF300mmF2.8IS
ラップランド原住民、サーミ人の揺りかごほか
イナリ(フィンランド最北部、イナリ湖畔の村)の先住民博物館, キッティラ周辺にて
ここには他に、サーミ人議会がもうけられている。
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by schale21 | 2012-02-10 10:30 | Comments(9)
Commented by tchscw at 2012-02-10 21:33
こんばんわ、風邪により布団の中でくさってるTCHです。学問的な難しいことはわからないけど、最近見せてくれる厳しい自然や迫力ある動物の写真、ほんとにいいと思うんですよね~。厳寒の地だからというのもあるかもしれませんが、空気感とか透明感が違いますね。これがカメラのおかげもあるのならシャーレさんをはじめ、1Dsにこだわる人が多いのもわかる気がしますね。いずれにしてもこんなにいい写真いっぱいあるんだから、さぼらないでブログ更新してね 笑 そしていつか日本で合同写真展やりましょう!
Commented by schale21 at 2012-02-12 08:15
風邪、大丈夫ですかね、くれぐれもお大事に。
モロッコやラップランドに行って、1年経って、また今回訪れて見て、やっと少し気持ちの整理ができてきたきがします。
正直、かなり戸惑っていたのです。やっとそれが理解できつつあります。


TCHさん、いや、学問的などころではなく、勝手に思う所書いているだけです。
ただ、歴史にしろ、正義にしろ、力のあるもの、より大きく叫ぶ事が出来るものの言い分だけが通るという矛盾を感じています

要は、歴史は人間が勝手に書いたもので、しかも主に勝者の歴史であり、弱者や、自らを語らない遊牧民など存在しないかのような
扱いである。しかしその価値観は、あまりにけたたましく、我々を駆り立てるのもで、何が幸せであるかさえも勝手に決めつけて押し付けてくるばかりか、それを拒否することは、ほとんど犯罪であるということです。
むしろヘロドトスや司馬遷は、本来は、その社会と歴史、また、神々や天道の正義を問いたく、それによって人間の傲慢や不正義が歴史の中で裁かれるべきという道理を説きたかったのだと思います。
これについては、またいずれ書きたいと思います。
Commented by schale21 at 2012-02-12 08:16
透明感とよく言われますが、実際ににカメラのせいだと思います。
ただ最後の室内の写真は1D2に35mmF1.4です。
1Dsももう修理がききにくくなるので、心配で、暗いとことか、代用できる場面では1D2使うようにしてます。まあ、あまり撮らないので関係ないですけど。 笑
写真展いいですね。それまでに腕あげときますよ。笑
Commented by 2dachsies at 2012-02-13 04:22
どうも。こちらこそお久し振りです。T.C.H.さんにきっかけを作って貰ったのかな(笑)。更新はのんびり目ですが、気が向いた時にでもまた是非お立ち寄り下さい。
Commented by schale21 at 2012-02-16 08:16
私のほうもおじゃましてびっくりしましたよ。インドだなんて!
そらもう被写体の宝庫なんてもんじゃないでしょ。
僕も写真は全く撮ってない訳ではないのですが、こちらの更新は怠けておりまして。。モロッコなんてもう行ったの一年前です。笑
Commented by シンシア at 2012-02-17 22:01 x
schale さんこんにちわ~

私のブログにお越し頂きありがとうございます<m(__)m>
私が住んでる所は滅多に雪が降らないので雪景色に憧れて
おります。
・・・と云って寒さに弱いので中々雪景色を撮りに行く事
は数える位しかありません。
地元の方は生活する上で大変でしょうが・・・・・。
音に消されたモノクロの世界に身を置くと心が澄んで来る
様に感じるのです・・・・・。
Commented by schale21 at 2012-02-18 02:41
シンシアさん、ご訪問、ありがとうございます。
あの素晴らしい雪のモチーフの作品を拝見していると、とてもそうとは思えないですね。
僕もどちらかというと、暖かいとこの育ちなのですが、だんだん寒いとこにきて、とうとうラップランドにまではまってしまいました。ラップランドは、砂漠もそうですが、いろいろな意味で騒音がなく、落ち着けるところです。どちらかというと、精神的な騒音の意味なのですが。
私の親しい者が工業デザイナーで、スイス、ダボスの有名な雪崩研究所で働いていたのですが、彼女の、雪のマクロの形状を表現した作品をパンフ用写真にするよう頼まれたのですが、どうしても本人も僕も満足行くものができず、気になっていたので、シンシアさんの写真を拝見して、よけい印象に残ったのです。できれば撮っていただきたかったですねえ。
Commented by taketyh1040 at 2012-05-12 15:20
schaleさん こんにちは。take1040です。
なんとなく(失礼)時々、覗かせて頂いています。
schaleさんの文章を読ませていただきながら、写真のイメージと重ね、どんな人なのだろ〜と想像していますが、未だに見えませんね〜。
そう言う意味でも魅力的に感じてしまうのかもしれません。
勝手なイメージを作りながら、勝手な訪問者でこれからも読ませていただきます。
Commented by schale21 at 2012-05-18 06:35
take1040さん、ご無沙汰しています。
更新がままならず、申し訳ありません。
あまりにも平凡な、短気なサラリーマンです。笑
近々更新したいと思っていますので、よろしくお願いいたします。


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