薔薇と架橋


”薔薇花よ。花咲くと云う、
未知未聞出来事を、
告知する花よ。

新たなる生命を生もうとして啓いた殿房の
決意した昂奮は、もうこの世を超えている。

美の本質は自らを与ふること、
外部ではなく、又内部に核心があるのでもない。
贈って、贈って、永劫に尽きる所を知らない。”

           芳賀檀   薔薇の悲歌(カデンツ)





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ペルシャの太陽は、一点の射影を残すことなく垂直に降り注ぎ、溢れている。
光の瀑布はまた、その一つ一つが完全な花弁からなるフーガと、地上の最高の芸術とを育みながら、またそれ自身、光の道である、中央アジアの草原と砂漠の道を踏みしめながら、全世界に伝播する。

薔薇は架橋である。
それは、不可能の深淵にかかる橋であり、二つの世界を繋ぐ奇跡の讃歌である。
いかなる断絶も、いかなる絶望も、この一片の奇跡の前にして、怠惰な慰めでしかないことを知る。
すなわち薔薇は、不可能に対する永遠の挑戦であり、絶対的な絶望をさえ尚、侮蔑して止まない闘争の炎である。

ああ、この波から波へ、花弁から花弁へと重なりゆく光の交響曲。
一片の無駄なき、数十億年の地上における戦いの勝利の讃歌である薔薇はまた、悲劇に耐え、悲劇をたぐり寄せる我々が持ちうる最高の師であり、希望である。
希望は我々の胸中にこそあり、それは絶望の中にも不動である。
ちょうど太陽が、自ら自身の細胞を燃焼し世界を照らすように、薔薇の花弁が内部における苦難の闘争から編み出されるように、我々もまた、汝自身の苦悩を、それ自身が美の極致であり、意義そのものである行為から行為へと昇華し贈与する。
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写真、文 schale

EOS1Ds
EF200mmF1.8. EF300F2.8, EF400mm.F2,8
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by schale21 | 2013-07-26 08:57 | Comments(0)


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