マウトハウゼンのウサギ狩り  Mühlviertler Hasenjagd


世界で悪いことが多いのは、悪いことばかりを報道するからだ。世の中には善や善人も大勢いる。本来はそういう行動を報道すべきだと語った人がいる。まったくその通りと思う。

オーストリア北部、リンツの郊外で、チェコ、バイエルン国境にほど近い場所にミュールフィアテルという所がある。ミュールフィアテルは、峻険なアルプスに囲まれた国土の中で、美しい丘陵地帯の続くオーストリアの穀倉地帯である。この地には、かつてのナチス強制収容所、マウトハウゼン収容所がある場所として知られている。
ポーランドのアウシュビッツや、バイエルン州のダッハウと同じように、収容所は現在でも歴史の証人ともいえる文化施設として保存されている。

オーストリアとナチスとの関係は複雑である。
ナチスに半ば強制的に併合されたオーストリアだが、被害者の側面と、加害者としての側面とが相互に絡み合っている。政治的併合は強制的ではあったが、故国に進駐するヒトラーを、国民擧げて迎え入れたのも歴史の事実である。1000年近くにわたって、革命も宗教改革もほとんど経験してこなかったこの国の国民は、ローマ教会、ハプスブルグ皇帝、ヒトラーと、圧倒的な権威、権勢を持つものには素直に従った。その意味では、我が日本の国民も同様である。

マウトハウゼンの収容所では、主に東部戦線で捕虜となったロシア人将校たちが収容されていた。
戦争末期の1945年、冬、この収容所で歴史的な大事件が起こった。
マイナス8度の厳冬の中、500人ものロシア人捕虜が収容所からの脱走を企てたのだ。
一部はすぐに捕獲、射殺されたが、300名あまりが付近の森などに逃亡した。
すぐに突撃隊、正規軍、ヒトラーユーゲント、また付近の住民などが駆り出され、逃亡者の捜索にあたることになった。出された命令は、一人も生きて返すなであった。生きた捕虜を連れ帰った者は激しく非難された。
二月の厳冬の中、粗末な囚人服しかなく、多くは靴もなく、食物もなく、森の中を逃走し生き延びることは不可能であった。ほとんどの者は発見され次第、その場で射殺された。また、凍死、餓死する者も多かった。組織的な捜索は3週間にわたって続けられ、捜索はうさぎ狩りと名付けられた。
だが、この残忍なうさぎ狩りを生き延びた者がわずかながら存在した。彼らは終戦の日まで命を長らえ、故国に帰郷することができたのだ。

うさぎ狩りに駆り出された村人たちにとって、ロシアの将校や青年たちは、なんの関係もない見知らぬ兵士、今は惨めで哀れな、武器も持たない痩せこけた囚人にすぎなかった。
ここで村人たちの行動は二つに分かれた。
一つは、ここぞとばかりに、人間狩りをうさぎ狩りと称して残忍な追跡を楽しむ者。
ここでは残虐さは権威づけられ、賞賛される。なにも善人ぶる必要はない。いくら非人間的な行動をしても、咎められるどころか栄誉とされるのだ。普段は堅実で真面目な村人たちは、非情な殺人者となった。容赦なく、厳冬の川や雪深い森の中を逃げ惑う囚人達を射殺した。
だが、そうでない者、たとえ命令でもそうは出来なかった者達もまた少なくなかった。
彼らは逃走者に食事を与え、衣類を与えた農民達であった。その幾人かは、自らの危険を顧みず、農家の納屋や屋根裏にかくまった。捜索がくるたびに、干やがる思いをしながらも、言葉も通じぬ敵国の捕虜をかくまった。その一家の若者は、昼間は自ら捜索隊の一員として駆り出された。うさぎ狩りに参加せねば、反逆者として投獄の危険があったばかりか、逃走者をかくまう家族にも嫌疑がかかったからである。

そんなある若者は、偶然橋の下で瀕死の捕虜を発見する。それは飢えと寒さで見るも無惨な姿であった。彼は発見したのが自分一人と確かめると、密かに食事と衣類を恵んでやろうとする。だが、すぐに村の隣人である同僚に発見されてしまう。
”お前何やってんだ”、普段から内気で優しい青年の性格を知っていた隣人は、彼をせき立て、だまって捕虜を連れ去る。
”だってお前かわいそうだと思わないのか、お前、人間の暖かみないのか”
”何いってんだ、こいつは捕虜なんだぜ、おい、いくぞ”

やむを得ず、ともに部署に連行するが、その先で何故生かして連れてきたのかと非難を受ける。命乞いをする捕虜を容赦なく射殺するナチス将校に耐えかねた若者は、この男がいったい何をしたと叫び、自ら数日間収監されてしまう。
青年の母と妹は、二人の捕虜の世話をしかくまっていた。やがて、各農家の内部まで捜索の手が及び始めたのを察し、自らのみならず、かくまう優しい一家をも危険にさらすことを案じた二人の捕虜は、自ら農家を後にすることを申し出る。だが、老いた母は言う。
私も人の母です。あなたのお母さんも、あなたが生きて帰ってくることを祈っていることでしょう。だからここにいなさい。

やがて春になり、ロシア軍はすでに国境をこえて、ウィーンに迫っていた。
こうして終戦の日まで、9人の捕虜が生き延びることが出来た。

これは名もない農家の庶民の英雄的な実話である。
この世で偉いのはいったい誰であろうか。人間の序列は何かが狂ってはいないだろうか。
そして、尊いとされることも、本当の勇気、優しさとはなんであるかということも。


注 ミュールフィアテルの逸話は1994年に、オーストリアのAndreas Gruber監督のもとに映画化され、多くの人に知られることとなった。映画”Hasenjagd” は、1995年、12万人の観客を集め、この年のオーストリア映画最大のヒットとなったが、ドイツ語圏以外では、ほとんど知られていない。



文 写真 schale
Camera Canon 1Ds
f0081988_552856.jpg


f0081988_5534774.jpg
f0081988_5542344.jpg
f0081988_555380.jpg
f0081988_559122.jpg

[PR]
by schale21 | 2008-01-26 05:59 | 平和への構想 | Comments(6)
Commented by SAM∅URAI at 2008-01-26 23:48 x
schaleさん!
先ほどはありがとうございました。
相変わらずスケールの大きい写真ですね!ホント目が釘付けになります。
そして意外と活字を読むのが好き(本当ですって)なので、いつも興味深くコメントを拝読させていただいています。
スケールの小さい私ですが(汗)今年もよろしくお願いします。
Commented by schale21 at 2008-01-29 07:34
SAMØURAIさん、とんでもありません。わざわざ見ていただいて光栄です。私も素敵なAngesさん楽しみにしてます。ほんというと、ちょっと羨ましいですけどね。笑
Commented by palms-7 at 2008-02-07 01:41
schaleさん、こんばんは!
正義や正しさを声高に叫ぶものほど愚かな者だと感じます。
人は弱いもので周りの雰囲気に流されて何が真なのか見えなくなるものです。
声高に心地良い言葉を叫ぶ者に迎合する事で自分も正しいと勘違いしてしまうのは危険な事ですね・・
強者とは曇りの無い眼で真実を見抜き悪しき流れに乗らず人間の尊厳を失わない者だと思います。
戦争や弾圧等、人が人でなくなる状況でも揺らぐ事の無い「名も無き英雄」が多き事を願わずにはいられません。
コメントにも有りますが親が子供を思う無償の愛を万人が相互に持てれば忌まわしく悲しい歴史を繰り返しはしないでしょう。
私は平凡な人間ですが心の目は曇らせず生きていきたいです。

駄文で失礼します。
Commented by schale21 at 2008-02-07 04:24
palmsさん、わたしは実際にはそういう人は、どこの国であれ、大勢いると思うのです。
しかし問題は、そういう人は声だかに叫ぶこともなく、取り上げる人もいない。
もっとそういう人、行為をこそ語っていくべきだと思います。
そですね、私も母です、あなたの母も同じでしょうという言葉ほど、当たり前にして、すべての本質をついた言葉もない。いかにこの思想を広げていくことができるか、それのみにかかっていると思います。
Commented by sportsmode at 2008-02-23 13:13
こちらには初めてのコメントになります。「あ!」です。
この時代の話は、色々なカタチで聞く事が出来るのですが、本当に過酷な時代であったんだなと感じます。
「~は何かが狂ってはいないだろうか。」
正にその通りだと思います。

この話が映画になったとありました、今はこのような映画を作る方はいないですね。
やはりこういう話こそ、伝えていくべきものなのだと感じます。
Commented by schale21 at 2008-02-25 16:34
あ!さん、ご訪問ありがとうございます。いつもお世話になってます。笑
確かに伝えられるものが間違っている気がします。早く人道の競争をする時代が来てほしいものです。


<< Wind of Change ノースウッド計画 Operat... >>