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カテゴリ:詩と文学( 27 )

旅立ちのとき

長い長い旅路の果てに
休息、逡巡、困難、砂塵の如き無尽の障害

新たな生への脱皮、瞬間の死
細胞の再生

さあ、また歩き出すのだ
新しい肉体と、精神を得て、生の開拓へ
汝の炎で 苦悩の薪を燃やし尽くのだ
行く手を照らす 光となるのだ

schale



私たちは今、非常に大きな節目を迎えようとしています。
いや、実はずっと以前からもう、そういう大きな節目、変革の中に私達は身を置いていたのかもしれません。
しかし、まるで駄々をこねる小さい子供のように、私たちはその変革を厭い、無視し、すっかり変わり果てて行こうとする世界の中に身を置きながら、それに合わせた自己自身の変革を拒否し続けて来たのかもしれません。
しかし、時代は今、もう待ったなしに、その変革を私たちに迫っています。

私たちは何処から来て、何処へ行こうとしているのか、幸福とは? 生の意義とは?  いや、そもそも、すべては ”何故”?

ハイデッガーは、真に偉大な思想家の思想は、生涯、一つの大いなる問いを巡って回るものであるとの趣旨の言葉を述べたといいます。

それ自身宇宙である、自己自身を思考する宇宙の中の存在である私たちもまた、この偉大な問いかけを、また再び開始する時が来たのです。
それはまた、大いなる勇気を必要とする、苦難の旅路への出発の時でもあります。


schale


長らくほっぱらかしており、コメントいただいた方、訪れていただいた方、お詫び申し上げます。

写真はスイス、グラウビュンデン州国立公園、ニーダーホルンの野生動物、堆肥に咲くエジプトの蓮
機材1Ds初代、EF85F1.2II, EF24-70F2.8他
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by schale21 | 2010-12-03 06:13 | 詩と文学 | Comments(2)

褐色のギリシャ兵

 
芳賀檀の文学

私が研究室を訪れると、ご高齢だった先生はゆっくりソファから立ち上がられ、深々と頭を下げられた後、よくいらしていただきました。お茶はいかがですか、と言われ、決まって自ら紅茶を入れてくださった。それが二十歳そこそこの、一学生に過ぎない自分に対する、大碩学として内外に知られた学者の姿であった。私は、その深淵な文学的著作と相まって、何よりその人格に衝撃的な影響を受けた。
それは自分の人間観を根底から覆すほどのものだった。
(当時、私は文学部ですらなく、法学部で政治思想を学んでいた。勝手に先生を慕って講義や研究室に顔を出していたにすぎない)

ある日の午後、講義の合間に二人でニーチェについて語り合った際、会話に夢中になって時間を忘れ、講義の時間をとっくに過ぎてしまい、走って講義室に向かったものの、学生達はすでに帰った後だったこともあった。今となっては美しい青春の思い出である。
その後、ドイツのフライブルグ大学に招聘された先生に、当地にいた自分が行き違いでお会い出来なかったことが何より悔やましい。後のお手紙によると、私とビールを飲みかわし、朝まで語り合う事を楽しみにされていたそうである。博士の最晩年のことである。だが、常に青春の中に生きておられた先生であった。
学者の道を歩まなかった私は、未だ先生にお見せ出来るような仕事も成し遂げておらず、人格も未熟であることを恥ずかしく思う。自分がこの10年ほど、平和学(戦争学)に関心を寄せるようになったのも、せめて、万分の一でもその思想を継承したいという無意識の思いがあるのかもしれない。

______

芳賀檀を理解出来る文学者は、あるいは日本にはいないかもしれない。なぜなら日本には哲学がない。すなわち真の知識人はいない。そして、それは文壇の世界ではなおさらである。
だが、確実なことは、その精神を理解出来る、無名の青年達は必ずいるということだ。

先生はよく語られていた。”川端が新潟の芸者をいかに妖艶に書いたとて、それが世界の青年に何を与えたか!” ”ノーベル賞などというものは、こちらから与えるものであって、もらうものではない”
日本の文学者では、白鳳(万葉)時代を別にすれば、芭蕉のみ世界文学として高く評価されていた。リルケに並ぶとも示唆されていた。また、近代文学では、父上(芳賀矢一)と交流の深かった鴎外先生と漱石先生を別にすれば、堀辰雄氏のみ、文学的にも人間的にも高く評価されていた。三島(由紀夫)氏とは交遊は深かったが、私自身はその文学についてはなんの評価も聞いた事はない。ただ、時折、彼と付き合っていたおかげで、右翼とよく間違えられ困ったと笑いながら語られていた。だが、晩年編集された詩集、アテネの悲歌では、死に際して三島に贈る詩を残されている。その文学的才能は認めておられたのは間違いない。

専門とされていたのはもちろんドイツ文学であるが、日本をはじめ、世界文学、哲学に造詣が深かった。
フランスの実存哲学者、ガブリエル マルセルと交遊も深く、フランス文学についてもよくお話を伺い、言葉も堪能で、ビクター ユゴーやポール ヴァレリー、スタンダールを特に高く評価されておられた。
とりわけ、ヴァレリーの貝殻の唄は、リルケに通じるものとして、しばしば言及されている。

師とも恩人とも慕われていたヘッセの作品の中では、若き時代のものをより高く評価されていたのが印象に残っている。
リルケについてはもちろん第一人者であり、世界で最初にドイノの悲歌を外国語に全訳されたことを大変誇られていたが、反面、この歳になっても、その深遠さはいまだに本当にはわからないと正直に語られていた。
また、キリスト教と西洋近代史には大変批判的で、晩年は自ら仏教徒ともなられたようだ。 
この点では、晩年に交遊を持たれていた池田大作氏の影響もあったようだ。内外に何かと批判の多い池田氏であるが、先生はそんなことは歯牙にもかけず、30歳以上年下の池田氏について、”池田先生は天才である。自分の交流は光栄この上ない。先生はアンドレ マルローやアーノルド トインビーとも対談されているが、マルローが訪日の際、朝日新聞が日本を代表する文化人として知られる、Kとの対談を企画したが、Kはくだらない話ばかりして、マルローはしまいにあくびをし始め、対談にもなにもならなかったという。日本と世界の頭脳にはそれほどの差がある。日本で20世紀を代表するような哲学者と対等に話が出来るのは池田先生だけである”と何度も自分に語って、この点についても衝撃を受けた記憶がある。

博士の著作は、文芸評論家として高名だった戦前のものと、晩年のものに大別される。
その間の多数の翻訳や、評論集はよく知られた通りである。
だが、若き日から、その文学的精神の規準はなにも変わっていない。晩年には、その美しい精神を、詩や戯曲にこの上なく見事に昇華され、描き出された。
最後の著作の一つである”死について”では、癌を宣告された自らの体験を通して、哲学史を再度見直され、さらにそれを一般の人々が誰でも触れられるようにするために努力された。
高潔な精神も、深淵な文学も芸術も、そして死というもっとも切実な実存の問題も、全てあたりまえの人間に奉仕するものであるということが、その哲学の要諦であったからだ。
”芸術のための芸術”という命題も、政治や経済に利用される事なく、人間のための芸術であり続けるという宣言にほかならない。ハイデッガーのもとで共に学んだサルトルの、”アフリカで飢えた子供が死んでゆく間に、芸術はなんのためにあるか”という有名な命題をしばしば引き合いに出されていた。
そこに浮かび上がるのは、人間から離れた青白い近代のインテリの姿ではなく、古代ギリシャの理想の姿、健康で誇り高い男子の姿である。
博士のドイツ時代のあだ名は”褐色のギリシャ兵”であったという。それはステファン ゲオルゲやベルトラムが名付けたものだったのかもしれない。だが、これほど先生の姿を伝えるにふさわしい言葉もない。
テニスやスキーも愛好され、留学時代には、現地の人々以上の腕前であったことをよく誇りにしておられた。

私は、ここに、失われて久しい、全人的な真の知識人の理想の姿を見る思いがする。
真の知識とは、人間と宇宙、幸福と平和への知識であって、それは絶対的な健康を伴う知識である。
今、人類が、心身ともに衰弱しきって、死滅の際にあるこのとときこそ、再び古代の理想の姿を思い起こすべきではないだろうか。


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by schale21 | 2008-01-12 04:31 | 詩と文学 | Comments(2)

褐色のギリシャ兵 - 芳賀檀の精神

『いつになったら又御目にかかれるのでしょう?
私達は、世界の限界の深部に於いて再びめぐり合うであろうと師は云われました。
曾てヘラクレイトスや印度の詩人たちが言ったように。ーーー
私にとっては師とともにすごした日々こそ真の故郷です。
師は再び私をあの河の畔りで優しく待ちうけていて下さるでしょうか?
曾て私達が逍った河の畔りで。ーーーあの輝く大理石の円柱の傍らで』
                                             芳賀檀    友情の書より



 出会の奇跡

”全て人間と世界への信頼を失った私にとって、もはや生は無意味なものだった。
死を決意した私は、ケルンを流れるラインの河畔を彷徨った。
ラインの流れは早く深かった。
すると前方から、黒い服に身を包んだ、一人の背の高い男性が向かってくるのが見えた。
それは、普段からその講義を傾聴し、敬愛していたケルン大学のベルトラム教授であった。
私を見て、ただならぬ様子に気づいた博士は、どうかなさったのですかと優しく声をかけてくださった。
博士は私の話を聞いた後、その花に囲まれた美しい庭園のある自宅に招き、勇気づけてくれた。
博士の偉大な精神は、私の卑小な心を包容し、そして昇華させるかのようだった。
私はそれまでの狭い世界が崩れ落ち、全く新たな世界と生がはじまるのを感じた”

ーーーーー 

私の恩師、芳賀檀博士がケルン大学教授エルンスト ベルトラムの元に学んだのは、1930年代のことであった。ベルトラムはニーチェ研究の大家としてすでに高名であった。
その以前は黒い森の麓の大学町フライブルグで、ハイデッガー、現象学の提唱者、フッサールのもとで主に哲学を学んだ。同期の学生で最も有名なのがサルトルであった。
サルトルは後に、ハイデッガーの哲学を独自の解釈で文学化したが、ハイデッガー自信はサルトルの文学、哲学を自分のものと同じとは認めなかった。
しかし現代においては、文学と哲学は同じ根を持つ二本の木と語って、ともに人間存在の解明こそその使命であると表明している。この意味において、哲学的思索なき日本の文学は、近代的な世界文学の名に値しないと芳賀博士が考えたのも当然であったろう。
 
ハイデッガーの師であったフッサールはすでに退官していたが、彼のフライブルグの自宅で、外国からの研究者に現象学を紹介するため、少数の個人的なサロンがもたれていた。芳賀檀はその中の一人だった。
ケルンでベルトラム教授に師事した際は、ベルトラムを取り巻く、芸術至上主義者達と親しく交遊、深い影響を受けた。その友情は終生変わらず、中でもハンス カロッサ、シュテファン ゲオルゲ、ヘルマン ヘッセとの交流は最後まで続いた。
そしてドイツ留学時代、最後に学んだのがエルンスト ユンガーである。
日華事変にともない、ベルリンから帰国の途につく芳賀博士を見送ったのはユンガーであった。
最後まで、ホームから姿が見えなくなるまで手を振ってくれていたその姿は、終生忘れられなかったという。ベルトラムとともに,芳賀博士に学問の深さのみならず、その人格を通して敬愛せしめたのも彼だった。

ユンガーもベルトラムも芳賀も共通する事は、常に誤解と無理解にさらされ続けた事である。
極端な評価と誹謗は生涯その身を包み、常に孤独であった。
だが、その人格は卓越しており、歴史を見下ろすような巨視的な視野は、20世紀の精神史の巨人であるというにふさわしい。そして、その精神に対する無理解は今日でもいささかも変わらない。

人類は、ヘルダーリンを発見するには第一次大戦の悲惨を経なければならなかった。
やがて未来の人類が、その新たな悲惨を持って、美と深淵の悲劇を、贈与の精神の深さをやがて理解する時が来るのであろうか。

ーーーーー

檀の父、芳賀矢一は、明治きっての文化人として、明治政府肝いりの学者の一人であった。
ドイツ文芸学を日本に移入すべく、ドイツに渡った矢一の下には、森鴎外、夏目漱石などの文人が頻繁に訪れ、芳賀邸はさしずめ、文学的なサロンの様を呈していた。
矢一は息子の檀にドイツ語で教育を授け、そのおかげで檀が東大に進学する頃には、大学のどの教員よりもドイツ語が達者だったという。
東大ではシラーを専攻していたという檀は、ある教員のすすめでドイツに渡った。
費用は大学で負担し、帰国後は教職が約束されているはずであった。
当代を代表する大学者達のもとで学ぶ学問は、日本のそれとはあまりに次元をことにするものだった。
約束の費用はいっこうに届かなかったが、後に人参をかじりながら学んだその時代ほど充実した時はなかったと語っている。

そんな時、ケルンに在学中の芳賀のもとに届いた手紙は衝撃的なものだった。
”状況が変わったので、以前の約束はなかったことにして欲しい。費用も送る事はできない”
後になってわかったことは、ドイツ留学とは、体よく芳賀を大学から追いやる画策に他ならなかったことである。それは芳賀を妬む人々の画策であった。
金のことでもない、生活のことでも将来の地位のことでもない。
芳賀を傷つけたのは、心を引き破る人間のその残酷さであった。
それは名家である芳賀邸に育ち、人間を信頼することこそ美徳と信じ教えられて来たものにとって、世界が崩壊するに等しかった。
人の裏切り程残酷なものはない。この世で最も美しいものが友情であるならば、この世でもっとも恐ろしく残酷なのも人の心である。

死を決意した芳賀はラインのほとりを夢遊病者のように彷徨った。。。
この時のベルトラムとの出会いはまさに運命だったのかもしれない。もしこの世に運命というものがあるのならば。
人生に意義があることを示す唯一の方法がある。それは、人間の愛と友情が、死を越えて力を持ちうるという事実を知る事である。
それ以外の全ての思想は、ニヒリズムに行き着く他はない。
死すべき存在である人間は、死を越える力を得てはじめて、その存在の意義を知ることができるのだ。
 


付記
その後芳賀は日華事変勃発を機に帰国。
保田与重郎などと共に日本浪漫派の代表者となる。『古典の親衛隊』、ナポレオンを題材にした『英雄の性格』、『方法論』など多数の文芸評論を手がけ、若手文芸評論の騎手と目された。
しかし、戦中もナチスのユダヤ人政策などに明確な批判を加えたにも関わらず、戦後、文化人戦犯として問われ、事実上、日本文壇から抹殺される。この規準では日本のほとんど全ての文人、文化人が芳賀以上の戦犯であるにも関わらず、罪を逃れたのは、彼らの節操なき戦後の変わり身の早さを示す以外の何物でもない。
彼らの書いたものを一瞥するだけで、人間とその歴史の真実とはいかなるものか、その一端を知ることができるだろう。
戦後は諸私立大学で教鞭を取る傍ら、フルトベングラー、ヘッセ、ニーチェ、カロッサ、キルケゴールなど多くの翻訳を手がけた。
晩年に、それまでの思想を集大成するかのように、詩集、戯曲集を出版(詩集アテネの悲歌、詩集背徳者の花束、戯曲集レオナルドダビンチ、戯曲集千利休と秀吉など)。また最晩年に念願であったヘッセ著作集も手がけた。


ドイツ時代の芳賀檀 1934年

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若き日のハイデッガー
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M ハイデッガー、E フッサール
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E ベルトラムの主著, ”ニーチェ、ある神話の試み”
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by schale21 | 2008-01-11 08:49 | 詩と文学 | Comments(1)

レッチェン峠2

現在は各州の連邦制をひくスイス。
ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏、さらに古代ラテン語であるロマンス語圏の4つの母国語を持つが, 全ての言語の習得は難しい現実から、学校で教える第二母国語を、国際語である英語にして簡略化しようと言う提案が出ているほどである。(現在はフランス語圏であればドイツ語を、ドイツ語圏であればフランス語を特別に習う)
つまり文化的な排他性が極めて少ない。よく言われるスイスの閉鎖性とは全く逆の現実である。

だが、山岳民族らしい独立心の旺盛さも際立っている。
このレエッチェン峠はバリス州とベルン州の境にもあたるが、中世まではしばしば両州の間で紛争があった。
各州間の軋轢を克服して現在のスイスの繁栄があるわけだが、人類の現代の段階は、民族国家という近代における人工的な産物の間における軋轢と、神的ともいえる不可解な絶対性、不可侵性を克服すべき段階にあると言えるだろう。


峠の山小屋で迎えた朝は期待通りの快晴であった。
峠の十字架はどんな歴史を眺めてきたのだろうか。

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雪上を行く登山者。
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氷河の融水があちこちに湿原を作っている。標高が高いため、植物はほとんど見られない。
彼方にバリスの高峰が美しい。
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雪線を降りて標高が下がると、森林限界までの間に美しい高山植物が咲き乱れる。
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彼方にラング氷河が見え始める。この谷がレッチェン谷。近代まで、人の入らない秘境の一つだった。
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こういう場所での一杯は堪えられない。
地元のビールにバリスの特産、ラクレット。要するにチーズを溶かしたもの。
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レッチェン谷は道路が出来るまでは不便極まりないところで、今でも古い独特の習慣が残っている。
なまはげに似たマスクは魔除けのもの。マスクをかぶって厳冬の中練り歩く祭りは世界的に有名。
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by schale21 | 2007-08-07 10:55 | 詩と文学 | Comments(4)

峠を歩く

レッチェン峠 その1

峠は古くから人と人を隔てる境界であり、また同時に人と人を結ぶ接点でもあった。
それ故、ハンニバルやナポレオンの伝説的な行軍を思い出すまでもなく、古代にあっても、そして今日においても峠は戦略上の重要な要所でもあった。

ユーラシアの西端にあたるヨーロッパ半島の中央には、巨大なアルプス山脈が横たわり、その気候、文化、人種にいたる明確な南北の境界線を作り出している。
山脈は地中海沿岸、南仏のコートダジュールに始まり、東はウィーンの森でドナウに没する1200kmの長さに渡ると言われるが、大局で見ればバルカン半島からカルパチア山脈、トルコやコーカサスの高山を経てイラン北部、そしてカシミヤからヒマラヤ、天山山脈に連なる大造山帯の西の一角を担っているといってよい。

有史以来、ユーラシア全般に渡ってこれらの山脈が、東西の文化を分ける決定的な境界となってきたのだ。
この境界は古代では、東部地中海からペルシャ、北部インドに渡る文明圏と中華文明、そしてさらに北部の遊牧諸民族の文化を隔てる境界であった。
ヨーロッパにおいてもアルプスは、地中海文明と北方の蛮族を隔てる決定的な境界であった。

この長いアルプス山脈主要部で最も標高が低く、最重要かつ古い峠はブレンナー峠である。標高は1375m。現在でもヨ—ロッパ南北を結ぶ大動脈である。今ではイタリア、オーストリアにまたがる高速道路が整備されている。
ブレンナー峠の西部は、オーストリアアルプスの最高峰が連なるエッツタールアルプス。
この氷河上3200mの地点で、1991年、5500年前のミイラ、通称エッツィが発見され、20世紀の大発見と言われた。氷詰めの遺体は保存状態もよく、衣服から身につけた武器まで完全なままであった。
興味深いのは、現在の最新の解析(チューリッヒ大学)では、動脈に受けた矢じりによる傷が致命傷になったのではないかということである。とすれば彼は古代の殺人の犠牲者ということになる。
世紀の発見が、殺人や戦争を象徴する遺物というのも、我々の現実を映し出しているようで皮肉なものである。

このブレンナー峠をのぞき、主要なアルプスの峠はいずれも2000mを越えている。
ヨーロッパの標高2000mでは真夏でも雪が降る。いうまでもなく秋冬は旅人にとって、まさに決死の覚悟を要する峠越えであった。峠には遭難した旅人を介護する施設が必ず設けられた。

いかにしてこのアルプスを越えるか。それは近代化の中でも大きな課題であった。
まず峠の道が舗装され整備されたが、それでも冬期は雪崩のため、ほとんど通行不可能である。
そこで現在ではその多くは数十キロに渡る鉄道、自動車トンネルで結ばれている。
先日は、スイスの国家的なプロジェクトであった、新レッツェントンネルが完成した(旅客運行は2007年末)。34kmのこのトンネルを時速250kmで、各国の高速列車が駆け抜けることになる。

このレッチベルクトンネルは現在でも鉄道専用トンネルで、自動車や貨物輸送のトラックは列車に車両を載せて通過することになる。
そしてこのトンネルの上部を越えるのが、スイスでももっとも古く、また険しく、そして美しい峠、レッチェン峠である。


峠の北の拠点、ガステルン谷にかかる滝。ガステルン谷はスイスの秘境。数年前、スイス大統領が国連事務総長コフィ アナン氏を連れて案内したことが記憶に新しい。
峠への道はこの滝にそって続く。

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ガステルン谷の最奥を見下ろす。見えているのはカンダーフィルン(氷河)。
かつては遥か下まで垂れ下がっていた。
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古くからの旧道は、氷河から流れ落ちる滝の横の崖を通っていた。崖崩れで何度か破壊されたあと、現在は復旧されてるが、危険な道であることに変わりはない。

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レッチェン氷河上に続く道。
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氷河上の瓦礫の道。大氷河ではないものの、不気味なクレパスが顔をのぞく。
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最後の難所。この崖を登りきれば峠の小屋。
背景はバルムホルン東壁。こう見えても標高3700mもある。
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標高2700mのレッチェン小屋。
南のレッチェン谷からは登る人も多く、小屋は賑わっている。
40人泊まれる小屋も満杯で、当日の予約だがなんとか場所を確保出来た。
現在拡張工事中。干してあるのは女性の下着。いかにもおおらか。
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日没のビーチホルン、3934m。バリス州側ベルナー山群を代表する山。峠からはドーム、バイスホルンなど4500m級のスイス最高峰の山嶺が美しい。
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小屋からの夜景。
このコースは日帰りも可能だが、日没と夜景を見たく小屋に一泊。
しかし時期的に遠景の風景はもう一つ。いずれ秋に訪れたい。
強風で小屋は揺れており、撮影にも苦労したが、翌日の快晴を願って就寝。
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by schale21 | 2007-07-31 23:19 | 詩と文学 | Comments(2)

旅立ち

ー親愛なるA氏に捧ぐ


それ故に人はまず橋を架けた。光と暗黒との間に。
ーー橋は私達の最も古い故郷であった。
それ故に橋は私達を魅了して止まない。
むしろ私達の本質が二つの世界にまたがる橋であった。

架橋の上に立つ事。ー 道程の半途に立つことは、詩人の運命であり、最も古い故郷であった。故に私達は出発に対して、旅路に立つことに最も深い郷愁を感じる。

ーーーーーー

始め喪失の悲しみがあって、音楽が生まれた。天使も又悲しみ故に生まれに相違ない。巨大な悲しみがあって巨大な讃歌が生まれた。

悲しみのない所、天使は存在しない。 ー 音楽もまた。ーー

真の知と愛とは眠りの中にも成育する。
真に愛するとき、それは死の中にも成育する。

芳賀檀   アテネの悲歌より




古来より輝く永遠の山脈。
永劫を告げる群青の氷河。
全ては想像を絶する自然の峻厳と、法則の美を語っていた。
それはまた、突然の喪失こそ、永遠への飛翔であることを教えていた。

全て断絶と別離とは、世界の高峰に通ずる法則であった。
極限に咲く花と、永劫の星座の美であった。

生の中に死あり、死の中に生あり。

ああ、生は、なんという驚きと悲しみに満ちていることだろう。
そして、なんという不滅の存在であることだろう。
青春を生を告げる若葉は死を免れ得ない。だがそれは、新たな出発と、再生への旅立ちへの啓示。
死は又、贈与と捨身への意志の体現。
愛なくして死はないという。
恋人達の眼差しは、この世に死という、新たな生の出発を贈与したのだ。

世界は生命の豊穣に満ち満ちている。
何処にも無はなく、存在(ザイン)の奇跡に溢れている。
絶対無とは、幼稚な観念の遊戯にすぎない。
故に、愛は、死を越えて死者を抱擁するだろう。
心は宇宙を包容するだろう。

schale


私達は、常に存在の奇跡に驚き、生命の不思議に魅了されながら生きています。そして出会いと別離の悲しみを、深く胸に刻みつつ生きています。
恋人達の眼差しほど、そのことを率直に深く語るものはありません。

人間の真実の愛と信頼が、死をも越えて永遠の力であることを自覚する時、友情こそ生命の本質であることを知るとき、あらゆる人生の苦境に立ち向かう絶対の力を、人間が得ることを感じてなりません。
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Photo Schale
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by schale21 | 2007-07-02 06:40 | 詩と文学 | Comments(10)

風立ちぬ、いざ生きめやも

堀辰雄の思い出

”風立ちぬ、いざ生きめやも” ポール ヴァレリー。
軽井沢にまつわる小説家として有名な堀辰雄が、その代表作、『風立ちぬ』の主題として、また彼の全ての作品を貫くテーマとした言葉である。
人生も世界も辛い事に満ちている。だが同じく、美と意義に満たされている。
だから二度と来ないこの瞬間に、生のすべてを賭けて生き抜こうという、詩人の透徹した深い哲学である。

堀さんと私の恩師である芳賀檀氏は親友であり、芳賀博士は堀さんにドイツ語の講義やリルケの解説を行った教師でもあった。
芳賀博士の晩年、二人で堀さんのことを語り合った際、”堀さんは小説家としては日本では一番ではないでしょうか。また人間的にも大に変立派な方でした” と話されていたことがあまりにも懐かしい。
確かに、世界と関係を持たず、私事の小さくつまらない世界のみを問題とした、真摯で厳しい哲学なき、甘ったれたようなくだらない私小説しかない日本の文壇の中で、死と向き合った生の意味を極限まで追い求めたその姿は、西洋の世界文学を彷彿とさせるものだ。

思えば、私が文学的なことに出会ったきっかけも堀さんの小説を通してであった。
多感な17才の頃、『風立ちぬ』や『美しい村』などの美しい作品に触れ、その深く精緻な心理描写、一見、はかなく壊れゆくような繊細さの中に秘められた、強い意志と生への哲学に触れ、まるでそれまで知らずにいた心の目が開かれ、生とは何か、人生に果たして意義はあるのかとの問いに、死ぬ程苦しんでいた自分の新たな人生が開かれる思いがしたものだ。
その後の学生時代に、この疑問に決定的な答えを与えてくれた恩師がまた、堀さんの最も身近な人であったのも偶然ではないのかもしれない。

堀さんは幼くして実父と別れ、その後幼少の彼とその母を引き取った養父に育てられた。
律儀で優しい職人の彼が、実父でないことを知ったのは、遥かのちになってからのことであった。
またその母も関東大震災で亡くした上、当時17才であった彼も一晩中隅田川に浸かって難を逃れたことをきっかけに、結核を煩ってしまう。
この当時は死の病であった結核によってもたらされた、死を身近に直視して生きる生き方こそが、堀の全ての作品を貫くテーマとなった。

共に結核に病み、彼女はすでに死を免れないことを知りながら、恋人、矢野綾子に結婚を申し込む。
矢野の父は掘さんの誠実さに打たれ申し入れを了承するが、ほどなくして、八ヶ岳山麓の療養所で息を引き取る彼女を看とる事になった。
この時の体験をもとにしたのが、代表作『風立ちぬ』である。

生の儚さと、死の身近さを知る者こそ、生の美しさと価値を知るものである。
彼の目は、あまりに深くまた繊細であった。
一瞬一瞬のなにげない日常の現象に、永遠の美と価値を見いだして止まなかった。
それは私達の目が、いかに無頓着で、無関心であり、開き目くら同然であるか、厳しく教えているかのようでもある。
晩年の随筆、『大和路、信濃路』などを精読すれば、その深いまなざしに驚嘆せずにはいられないだろう。
かれはまた、日本最高の随筆家であることも間違いはないとも思う。

晩年、喀血に苦しみ抜く中で、もういっしょに死んでしまいましょうと言う妻に、もしそうすれば自分の全ての作品が無意味なものになってしまうと答えたという。
堀さんの芸術と文学の価値を語りきったエピソードではないだろうか。


風立ちぬ
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4803_14204.html
大和路、信濃路
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4806_14952.html


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by schale21 | 2007-06-02 04:33 | 詩と文学 | Comments(10)

ハムレット


無条件で、無償で矜らかな貴公子!
その完璧な美しい形姿は
絢爛たる舞踏会を飾るにこそふさわしい。
今は併し、勝ち誇る暴力の支配の世界に、
剣をとって対決する火炎の意志。
完全な孤独にも馴れきったアウトサイダー。

ーーーー

その狂気のため、
貴方の高貴さは群鴉の中で
一そう高く輝き、
抑圧された青春の憤怒の爆発薬は
炸裂して一切を吹きとばそうとする。
が今日はただ忍耐が全てである。

ーーーー

ああ、墓場の中のハムレット!
このすぐれた思想に対して、
ドアクロアも羨望のため赤面する。
御身こそ、全ゆる不可能の越境者、
未知未聞の魂の領域の支配者よ。
ときにはふと憂愁と哀惜と恋が
あなたの行方に立ち塞がる。
そのために人はしばしばあなたを、
怯墮にして逡巡する実行への
不能者であるとはき違えた。

ーーーー

ただ亡父に対する私怨の復仇のためだけではない。
世界の不正に対する嫌悪と嘔吐が
凡て克服し難い悪への挑戦が
短い美しい生命を
革新の剣を抜くことに賭けしめる。

ーーーー

かくて全世界と対決し、
世紀を変革する劇的行為があった。
たとえ死の中にも
私達のために失われた
大地を回復しようとして。
喇叭を鳴らせ、銅鑼を打て。高々と。
『偉大なる、シーザーともなるべかし王子』のために。
彼は私達の存在の位置を決定し、
新たな火を点じ
未来への星をかかげた。
          
           芳賀檀 『ハムレット、ドンキホーテ』より



明けの明星は一人夜明けを告げて消えてゆく。
ちょうど宵の明星が、壮麗な銀河の夜を告げて輝くように。
あまりにも早く未来を知り、あまりにも深く真実を知った者の孤独と挑戦は、胸を打つ悲劇であり、感動をもたらす美である。
それは私達が日々、気づく事もなく触れている自然の営みであり、世界の真実そのものである。
日常とは、峻厳の真実から目を逸らす事で成り立っている。
しかし時に、美はまた、未来を告げる鐘の音であり、私達を導き叱咤する希望の星であるのだ。

schale

撮影 schale Canon 1Ds

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峻厳なアイガー
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月光に輝く深夜のシュレックホルン (4200m)
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by schale21 | 2007-03-31 07:40 | 詩と文学 | Comments(16)

ドンキホーテ


阿呆道化の彼、或る日全世界を
不正の手より開放せんものとて野に出で征く
               ーセルバンテスー

彼は全身善意に燃え、勇気に溢れ、
悪を撃ち、邪を拒けて、一歩も退かない。
夢想する至上の貴婦人の前には他愛無く跪き、
ことその虚無の実現のためとあっては、
凛冽全て現実の枠を踏み越え、
没落を前にし、没落に向かって、
敢唯として征く。
併し、そして同時に限りなく己を損害し、
いつも惨敗と汚辱に塗れ、しかも
敗惨は甚だ後世益し、変革した。
がついにえたものと云えば、嘲侮と憫笑と
底抜けの阿呆という栄誉だった。
 
ーーーーーー
丈徒に高く秀で、あくまで古燥、
ひたすら後世を祈るべき
不惑の年にして、なお突如
青春を奪還し、
敢えて痩せ馬を駆って、再び還らぬ
遍歴の騎士の旅の上る。
彼も又火炎にして、無条件の脱落者、
限りない世紀の突破者、越境者である。

ーーーー

行く所、いつもつばを吐きかけられ、
石を投げられ、棍棒、足蹴の打擲をうく。
しかもなほ、稟質高潔、性根は矜り高く、
夢は決して背を屈せしめない。
むしろ名状し難い壮気は
旺んにして天をつく。
俗界の腐敗堕落は
何の関する所があろう。懐にびた一銭貯えもないが
およそ遍歴の騎士たるもの
報酬のために戦わぬ云う。

ーーーーーー

昔、ランスロット、アマディス、ロランド等、
円卓の騎士らの伝説の虹が
恍として今、ラマンチャの荒野に紅く花咲こう云う。
ロマンははかなく、虚無の夢のみが完全である。
何故と云って、未来への夢、
多彩な高貴な夢の他に
現実も真理もない。

ーーーー

重なる現実の悲惨と、
とことんまでたたきのめす裏切りとは、
いっそう彼の心を高くかちあげるだけ。
まことに、無条件な、限りない献身にとっては、
遮るなにものもない。 ー それ故に、
現実と夢の隔てなく、
幻滅と幸せの見境ひはなかった。

ーーー
臆したか、サンチョウ奴!
群羊は敵の大群でないなどと、たわ言を誰が云う?
又たとえ吾が崇める
世にも貴なるドルキネアスの君を、
一度もかいま見た事なく、
凡そかき口説いたことがなかったとしてもよろしい。
人の眼とは夢を見るための器であって、
現実を映す鏡ではない。

ーーー

外部から見ればうつつけの阿呆の喜劇。
併し、道化者は又哀しい悲劇でもあった。

ーーーー

彼の撃とうと云う悪竜と巨怪は
いつも身の周りを、囲繞する
陰険奸策の徒であり、
卑劣にして、残忍な世俗であった。 
勿論彼もその多数者に対して、
惨めにも敗れ去る以外になかった。
しかもなお、彼の意志と夢は
限りなく健康であり、完全であった。

それはこの悪の砂漠に、
一点の希望の花を点じ、
ゴチックのいかなる尖塔よりも深く、
虚構の世を突破した。 

ーーー

所詮、不正をうつことは
この世では不可能だった。
併し、彼はついに失われた高貴の世界の王者であり
破れた、甲鎧、折れた長槍は、
かつて何人にも敗れなかった。
それ故に私はまるで刑場にひかれてゆく
イエスの姿を見るように、
あなたの前に跪き、涙ぐみ、
うなだれるのである。

 
    芳賀檀 『ハムレット、ドンキホーテ』より





”人間の眼とは夢を見るための器であって、現実を映す鏡ではない” 
ーー 何と言う美しい言葉でしょうか。
この言葉は,夢こそ現実であることを、またあらゆる夢が現実をなりうることを語っています。
また幸福が、常に希望を持つ者の側にあり、現実の嘆息に沈む者の側にあるのではないことも。
このあまりにも美しい詩の前に、いかに多くを学び、いかに多くの勇気を得た事でしょうか。
それは、人生に意義があるかとの問いかけに対し、いや意義があるのではない、意義を自ら与えるのだとの意志に等しい。

この世の正義と不正義が、この世の真の勝者と敗者とが、歴史で学んだものとは逆だとしたら、これほどの震撼すべき事柄があるでしょうか。
そうです、人間の歴史は不正と残虐の歴史であり、”限りない悲しみと涙の歴史 ー ブルクハルト” であったのです。
だがいかなる個人も団体も、自らの歴史と出生を正当性し虚飾しないものはない。
人間の悲劇の根源は、歴史家がその歴史を美しいものとして書いたことにあったと考えています。
つまりある意味、最大の犯罪人は歴史の審判者たる歴史家にあったのだと。
ランケもホイジンガーもヘーゲルもトインビーもこの罪を逃れ得ないでしょう。
古代の司馬遷やヘロドトスは、その後の人類の歴史をどのような絶望をもって眺めた事でしょうか。

しかし、現実と真実を見据えるリアリストの眼と、未来への理想を描く眼とは矛盾するものではありません。
なぜなら夢を見ているのは私たちの方だからです。
夢とうつつは逆であり、私たちが夢と呼んでいる多くのものこそ現実なのです。
そして全ての夢はいずれ”現実”となります。
それが恐らく”進化”というものの正体であり、原子爆弾も至高の芸術も、波濤を越えた未知への冒険の実現もかわりはありません。

人間のあまりにも残虐なその歴史は、いかなる詭弁をもってしても、いかなる高尚で難解な理論をもってしても正当化することはできない。
いや、行為を正当化せねばならぬそのこと自体がその不正義を物語っているのではないでしょうか。
嫡児の正当性を語ること自体が、その奪った王冠を物語っているのではないでしょうか。
あまりに多く自らを語りすぎるこの事実こそ、正義と不正、夢と現実が逆転しいることを雄弁に語っている気がしてなりません。

人間の歴史や文学、芸術、その優れた行為の中で、時折この真実を英雄的に雄弁に教えてくれる時があります。
その歴史を変えた ”人類の星の時間”(シュテファン ツヴァイク)ともいえるその瞬間こそ、本当に我々が模範とすべき学ぶべき瞬間なのかもしれません。

schale


schalephoto@yahoo.co.jp

撮影 schale Canon 1Ds
写真一枚目
ハプスブルグ最後の皇女エリザベート
マイヤーリングで自決を遂げたルドルフ皇太子の娘。第一次大戦の引き金を引いた皇帝フランツヨーゼフ2世の孫娘。
皇女に生まれながら離婚のあとオーストリア社会党の幹部と再婚。波乱の生涯を送る。彼女が過ごした最後の邸宅にて。

写真四枚目 
1953年エベレスト初登頂を遂げたネパール人ガイド、テムジンの遺品のナイフと彼の兄弟。友人の登山家の所有。

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by schale21 | 2007-03-15 09:19 | 詩と文学 | Comments(2)

薔薇のカデンツ

今はただ耐えること、耐えることが全てです
  ライナー マリア リルケ


神々の思惟は、ふと完美の姿に佇んで、
人間の思惟にまじわり、
目に見る光の深淵の姿に現れると云う
何処から来るのだろうか、あの重い光の顔貌。
たとえば子午線を越えた、真昼の太陽が、
誰はばかる事もなく、ふりそそぐをごりに似て。

ーーー

薔薇花よ。花咲くと言う、
未知未聞の出来事を、
告知する花よ。
新しい輝きの質量の只中に歩みて、
刹那刹那の驚きを、しかもなほ
優しさのあまり、悲しくて、眼閉じて、
身を慄すよう。
生まれ、死ぬ生命の出発の由々しさを、
腹に秘め心に決めて全身に
知る緩徐調(アダジオ)の素晴らしさよ。

ーーー

夢。この世のむごき、悲しみに、
途絶えがちな夢ではない。
眼に冴えて、真昼間に見る夢にこそ。
きびしくて、一点のゆるみなく、
おごそかに重ねて絃に、歌うがごとく。
荘厳なる銀の喇叭の、
尖塔を建つるがごとく。
全て秩序。ー 全て音と肉体の旋律の渦巻。
全て美の計算の分列の式典。
何という光の高等数学。なんという四次元の、
完全な法則が、花を開き、灯を点じるよ。

ーーーー

自然よ。この美の一点にあつまらんとして、
いかに多型を思索し、いかに永い試練を重ね、
いかに惜しみなく、生命を浪費し、
悲しみと別離の涙を溜めしことよ。
まことに、高々といま、掲げらるべき
惨苦の永遠の成果よ。

故に美は、その永い苦しみの故に、
互ひに出来事を知り、なつかしみ、招き合う。
又血縁の悲しみは、比類のない高峰のように、
寂寥の中に輝いてひとり、
ほとんど名状し難い追憶を訴え、語るという。

 芳賀檀 ”薔薇の悲歌”より”


ダーウィンの生存競争という概念は、生物学を越えて、人類の生き方、哲学に巨大な影響を与えました。それは今日の経済学に最も端的に現れています。

自然と宇宙の本質が、また人生そのものが永遠の戦いであることは疑う余地はありません。
しかし、それは本当に他者の幸福を奪い取ることで自らを養うという戦いなのでしょうか。
あるいは宇宙の本質は与えるための永遠の戦いではないのでしょうか。しかしこれは一つの仮説に過ぎません。

美は恐るべきものであり、それは極限の戦いの成果であり、決して易々と人を近づけるものではありません。
しかし、その戦いはちょうど太陽がそうであるように、無限の贈与への意志の結晶である気がしてなりません。
つまり、自然の意志の本質は、奪う事ではなく、贈与への意志にあると。

その戦いの本質は耐え抜くことにあります。
何故なら愛はそれ自体際限のない苦しみであり、自らを省みない惜しみない贈与であるからです。
”それにも関わらず世界は美しいのです”(エルンスト ベルトラム)と。

schale

Photo by schale
EOS1Ds, EF24-70F2.8, EF70-200F4

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by schale21 | 2007-02-01 09:40 | 詩と文学 | Comments(16)