<   2006年 03月 ( 13 )   > この月の画像一覧

オレンジ

果実の丸い形象に 驚く時
数億年の生命の戦いを見る
それは長い長い 捨身と贈与への戦い

自らを贈らんとして得た 得難きその形姿
生命の奇跡  永遠の勝利の証
それは 誰人も奪う事の出来ない 真実の勝利

生命と心を継ぐとは かくも厳しき忍耐の戦い
私の命は 彼の捨身の成果であることを知る 
驚き 感謝 奇跡の中の奇跡

Schale

 

リルケはオレンジの丸い形に胸を打たれ、そこに長い長い自然の、贈与への意志の結晶を見て取ります。
それは、偉大な彫刻家、オーギュスト ロダンの秘書として働く中で、”見る”ことを学んだ詩人の洞察でした。
そこに、自らを贈ることによってのみ、その生命を継承できるという、深い、自然の摂理の体現を見たのです。

今日の経済学が、ただ簒奪のみに価値と規準を置くところにもまた、私たちの克服しがたい悲劇の根源があります。
しかし、全く新しい価値観は、もっとも古い人類の知恵にも通じ合います。

多くの古代の民族が、自然の中に優しい神々の姿を見たように、動物たちの、私たちを許す無限の忍耐がそうであるように、この世界を見る目そのものの転換こそ、私たちの唯一の生存の道なのかもしれません。
f0081988_7472236.jpg

[PR]
by schale21 | 2006-03-31 07:54 | 詩と文学 | Comments(4)

”人類が月にまで到達した事は、偉大なる技術と知恵の勝利です。
しかし、私は人類がいまだ月の美しさを十分に、絵画や詩に歌い尽くしていないのではないかと感じています。
出来る事なら、その美しさを十分に歌い尽くしてから、到達して欲しかった”

エルンスト ベルトラム



月よ 幾多の旅人の行く手を照らせし月よ
無限の時と 永劫の未来と過去を 体現せし月よ
おまえの優しさは まるで母のよう

大洋の底に営む 無限の生命
地上の女神たちの 生命の鼓動

あまりに深く また やさしく
おまえの力は 私たちを 包み 支配する

その懐に抱かれる時 おとずれる 限りない幸福 調和
地上の美と 天上の美に 架け渡される 奇跡の架橋

Schale



Canon 10D EF24-70F2.8L  背景はミシャベル山群
f0081988_514138.jpg

10D EF70-200F4L
f0081988_5162264.jpg

Canon 1Ds EF200F1.8L
f0081988_5175251.jpg

Canon 1Ds EF24-70F2.8L
f0081988_518537.jpg

[PR]
by schale21 | 2006-03-26 05:19 | 詩と文学 | Comments(9)

幸福

”心に贈与への意志が芽生えた事は 歴史の底辺の深さを語るものである”
”人間の歴史は 贈与の人 及び簒奪の人から成り立っていた”
詩人  芳賀檀(まゆみ)


幸福はどこに
人々はみな幸福の為に生き、努力している
今日も足早に急ぐ人々も、みな幸福をめざしているのだ

幸福は人によって違うというかもしれない
何に満足出来るかという点では確かにそうであろう
しかし、幸福の基準となれば、変わるはずはない

幸福の基本は愛である。人と人の信頼と愛情溢れる関係にこそ幸せはある
しかし、当たり前のことが当たり前でないのが人の社会である
莫大な権力を持つと、基準が変わると信じる人々がいる

他の人の幸福を奪う人は、自らの幸福を破壊する人である
そして怠惰な無関心は、社会の根本を破壊する

力こそ幸福であるという愚かな信仰を 身近な人に適用する人はいない
それが自己破壊の極みであることを知るのは簡単なことだ

ではなぜ、どこで 歯車がこうも狂うのであろう
また 人々は なぜそれをこうもやすやすと受け入れるのか

歴史の最大の秘密は それが秘密ではなく 誰にも理解出来る 単純な事柄であるということである
最も身近な中にこそ 真実は隠されている

Schale


足早に家路を急ぐ人々は、なにを思っているのでしょうか。
多くの人は、愛する、妻や恋人、子供たちの事、大切な友人たちへの思いで溢れているに違いません
これこそが幸福の基本であり、誰人も否定できない、この事実に立ち返るとき、我々が不可能と考える多くの問題の解決が、可能になると信じています。

Canon EOS1Ds 50mmF1.4,  50mmF1.8  70-200mmF4,
f0081988_9562930.jpg

f0081988_958429.jpg|200603/18/88/|mid|1243|827#]

f0081988_10125187.jpg
f0081988_10152813.jpg

[PR]
by schale21 | 2006-03-18 10:00 | 詩と文学 | Comments(7)

Seyn

Sein ー ザイン、西洋の哲学はギリシャ以来、このザインを中心に回っている。
英語ではbeにあたるが、英語圏ではこの概念はニュアンスを若干異にする。
日本では”存在”と訳されるが、概念そのものがない。
この国(日本)には、そもそも形而上学(哲学)そのものが存在しない。

わたしは西洋2500年間、多くの思想家を悩ましてきたこの問題に、簡単に答えを出そうとはおもわない。
しかし、あえて言うなら、このザインは”現象”と置き換えてもいいかもしれない。

現象の基になるものがザインではないかという疑問もあろう。しかし、この現象そのものこそ、本質であるととらえるのである。

この世を仮象の世界と捉えるプラトン以来の考え方ではなく、さらにそれ以前の古代ギリシャや古代インドの哲人、大乗仏教哲学にも見られる考えかたである。
近代では、現象学を唱えた、フッサールもこの考え方に近い。

仮称の世界の背後に最高のものを想像し、探し求める必要は無い。
私たちが日々目にするものこそ、最高の真実であり、美であり、価値である。
大地から伸び上がる木はそれを象徴している。

この世は可能性ー現象 の世界であり、運命と呼ばれるものもまた同じである。
どの可能性を選びだすかは私たち自身なのだ。


撮影、Canon 10D, Lens EF24-70mmF2.8
f0081988_2117294.jpg
f0081988_21174865.jpg

[PR]
by schale21 | 2006-03-13 21:46 | 詩と文学 | Comments(5)

ヨーロッパの統合、過去と未来

ヨーロッパが統合されたのは今日がはじめてではない。中世の時代にはローマ教会の権威のもと、全ヨーロッパは統一されていた。共通言語はラテン語である。

この問題を考えるには国家概念の推移を考えねばならない。

私たちが今日、自明のこととして納得しているものの多くを、私たちは太古の昔からそうであったと単純に信じている。
しかし本当にそうであろうか。

例えば、キリスト教徒とイスラム教徒、ユダヤ教徒は中東において、本当に何千年も前から妥協せぬ争いを続けていたのであろうか。
バルカン半島では、ずっと以前から民族間の激しい争いが、止む事無く続いていたのだろうか。
あるいは歴史は本当に進歩してきて、私たちが住む時代が最も進んだ時代なのだろうか。
そして歴史そのものの記述は、はたして信頼に足りうるものなのだろうか。

こういった迷信の多くは、時の権力を握るもののプロパガンダの成果にすぎないのではないだろうか。

国家の問題もまさにそうである。今日の概念での国家が生まれたのは、たかだか、この200あまりのことである。その直接の淵元はフランス革命と啓蒙思想である。

フランス国民軍を率いるナポレオンの軍団は、全ヨーロッパ連合軍を敵に回してなお無敵であった。
それはナポレオンの軍事的天才によるところが大きい。しかしより本質的な理由は彼の軍隊が、無名の庶民からなる国民軍であったことである。

軍事的訓練を充分に受けない、素人の軍団、しかし、その素人軍団は革命の理想と祖国を守るという熱血の意志に燃えていた。かれらは真に”フランス人”であり、フランスの概念と革命の理想を体現していたのである。同じ目的の達成のために死をも厭わない、内面からの団結の軍団。この軍団の前に、全ヨーロッパの諸候軍はなすすべもなかった。

この軍団の象徴こそナポレオンであった。ロシア遠征の敗退の際、はじめ数十万の軍勢が数千にまでなったとき、彼に従って、ついていったことを悔いるものはいなかったという。
凍結の川に橋を架け、仕事を成し遂げ、凍死する事を潔しとした。

諸国の軍隊はみな傭兵であり、彼らは職業として戦うのであって、理想を守る為に戦うのではない。
歴史にこのような例は多い。やはり革命の為に3倍の数の国王軍を破った、クロムウェル。
近くはレーニンの革命。中国赤軍による長征と革命の成功。ロシア赤軍のナチスに対する勝利(第二次大戦の連合軍の勝利の大半はソ連によってもたらされてもので、英米によるものではない。英米の貢献度はせいぜい20パーセント。これも一般的に誤解されている)これらはみな、軍事的奇跡である。

このフランス革命とフランス軍の勝利によって、歴史は大きく動くこととなった。
各国はフランスを真似て、徴兵制による、国民軍の創設に動きはじめ、また、国王ではなく、祖国に奉仕する人間の育成に励むようになったのである。いや、その前に”祖国”そのものを創設せねばならなかった。これが国家の誕生である。ドイツ統一のために献身したビスマルクはその象徴的存在である。

こうして、歴史は王族と貴族を中心とする、階級社会から、新たに考えだされた国家と言う概念を中心とする、より民主的な国民国家という方向に動き出した。

おしなべて、この民主的国家は、独裁国家よりも好戦的である点は注意して考える必要がある。ヒトラーの創設した、国家社会主義は、そのひとつの行き着く先で、民主主義の未来を象徴しているといってもよい。

今日のヨーロッパの統合は、この国家概念の超克への挑戦であるといえるかもしれない。

この緩やかな国家連合体、疑似国家は、人工国家の象徴である米国の最大のライバルである。その他のライバル、インド、中国、ロシアもいずれも他民族国家である。

小国スイスはやはり、他民族国家である。
今日EUが超克せねばならぬ多くの事を、経験として蓄積している。

近代国家概念の超克がEUの歴史的意義であるならば、スイスもその中立概念の一部を放棄せねばならぬ時が来ているといえるかもしれない。
そうではなく、新しい覇権国家の誕生であるならば、スイス国民の躊躇は故ある事となる。

国民投票の再度の否決にもかかわず、すでにスイスは事実上EUの一部である。
国連への参加は多くの人が賛同している。
それが是か非かは未来を担う私たち自身にかかっていることである。



Photo, Canon 1Ds, 一枚目、ベルン中央駅。EF24-70F2.8L
二枚目、EF50mmF1.4 、ベルン旧市街、時計塔
三枚目、EF70-200F4L、のみの市で演奏するバイオリン造りの若者たち。

f0081988_8132077.jpg
f0081988_814774.jpg
f0081988_8144480.jpg

[PR]
by schale21 | 2006-03-10 08:16 | 平和への構想 | Comments(3)

中立と平和


国家や国民、個人の性格を考えるとき、その取り囲む自然環境を抜きに語ることは出来ません。
スイスは言わずと知れた山の国。国土の大半は険しい山岳地帯で、また美しい多くの湖に囲まれます。

山と湖の環境は優れた教育家を育てるという、興味深い考察があります。

スイスの誇る偉人と言えば、ペスタロッチ。
言わずと知れた現在の教育学の父とも仰がれるこの人物は、自らは決してエリートの教育を受けたわけではありません。
その彼が苦労して開いた学校の最初の教師は、ドイツ語の名詞が大文字で始まるという、日本語でいえば、あいうえおに当たるような基礎的なことさえ知らなかったと言います。
しかし彼の目指したものは、単なる知識にあふれた人間ではなく、優れた人間、幸福な人間を育てるという、教育の基本を見据えたものでした。

彼の深いヒューマニズムに基ずく考察は、人間の幸福の基本は少年少女の教育にあることを早くから喝破していたのです。
時はまさに、ヨーロッパナショナリズム勃興の時代。各国は国家に奉仕する人間を育てるべく、奔走していた時代です。
この自らの信念に妥協を許さぬ偉人の人間洞察が、いかに鋭く、先見性に溢れ、また尊いものであるかを理解するには、さらに時代を経ねばならないことでしょう。

スイスの中立は世界にほとんど類例のないもので、真似た国はあっても、それを成し遂げた国はありません。最近では戦後のオーストリアもそうですが、90年代に入り、NATOへの加盟、極右政権への国民の選択など、その中立概念が所詮、付け焼き刃にすぎなかったことを如実に示す結果となりました。

南米のスイスと言われる、私の憧れの国、コスタリカは内線渦巻く南米の中にあって、自ら軍隊を名目上廃止した世界最初の国です。
しかしこの美しい宝石のような国も、今日では埋蔵石油の発見とともに、経済、政治と大きく揺らいでいます。

スイスの独立と平和も、歴史的には決してきれいごとの上に守られたものではありませんが、ともかくも世界でもっとも悲惨な歴史を刻んできた欧州のただ中にあって、今日までそれを維持して来たのもまた、歴史的事実なのです。

ペスタロッチの信念に見られるような徹底した自主独立の精神。自衛以外の侵略戦争を行うことの非生産性への自覚、他民族国家を経営する上でもっとも重要な、中庸の精神と他者の独立への不干渉と権利の尊重。個人の権利の尊重と共同体への義務への自覚。
こういったものが、その独特な中立精神の礎であることは間違いありません。

この山々と湖の調和は、真に価値あるものは、決して戦争のような刹那的な解決ではなく、多くの時間と忍耐を経てはじめて成し遂げられる、矛盾の調和であることを教えているのかもしれません。 
f0081988_4555923.jpg
f0081988_51465.jpg
f0081988_56234.jpg

[PR]
by schale21 | 2006-03-09 05:01 | 平和への構想 | Comments(5)

快晴の山は確かに美しい。しかしどこか味気ない。突然の天候の激変は山にいく人にとっては、ときに命にかかわる重要なことがらである。
それゆえ登山家は、農耕に携わる者のように空と雲を眺める。


世界でもっとも愛され、多くの人に読まれている作家はヘルマン ヘッセである。
ドイツの黒い森にある、小さな美しい村、カルプに生まれ、のちに作家として成功してからは、その生涯の大半をスイスで過ごした。後にはスイス国籍も取得している。

二度の大戦に反対し、ナチスとも対峙した勇気の人である。スイス国籍取得にこだわったのは、そんないきさつも関係していたのかもしれない。

彼の少年時代、日がな一日、小川のせせらぎを聞きながら草原に横たわり、雲を眺め、その流れに見とれ、憧れていたそうである。その自由さ、形にとらわれない魔法のような、その形姿。
雲に旅立ちと郷愁、自由を感じた、幼い彼の感受性はそのまま、世界的作家となってからも作品として昇華された。

優れた水彩画家としても知られるヘッセ。彼が描いた光景は、やはり流れゆく雲の姿であった。
f0081988_8504891.jpg
f0081988_8511843.jpg
f0081988_8515016.jpg
f0081988_8524152.jpg
f0081988_8531628.jpg

[PR]
by schale21 | 2006-03-08 08:54 | 詩と文学 | Comments(15)

挑戦

広大なアルプスに人が挑むようになったのは、比較的最近のことです。
18世紀後半にロマン主義の影響で、自然を美として見る考えが西洋で生まれたからです。
自然に帰れと叫び、自然人のあり方を理想としたルソーの考えは、その先駆けといえるでしょう。

すでに古代において、自然の美を詠った東洋人、とりわけ日本人の感覚がこの点ではどれだけ先進的であったか知ることができます。
というより、近代西洋文明は唯物主義的な物質文明にその特徴があり、人間とその心理の解明にはほとんど力を注いでこなかったのが、この分野における後進性の原因の一つかもしれません。

いずれにしても、人間の挑戦の場として、今日では山は人を惹き付けてやみません。

純白の雪に最初のシュプールを刻む、目もくらむような急斜面に挑む。
雪崩をはじめとする死の危険との隣り合わせの挑戦に、今日も多くの人が挑みます。
f0081988_651413.jpg
f0081988_6514885.jpg
f0081988_6522357.jpg

[PR]
by schale21 | 2006-03-05 06:53 | 詩と文学 | Comments(9)

夕暮れ

冬、とりわけ12月の日没は早く、山で夕日を楽しむには絶好の季節。その分寒さもこたえます。
しかしこういう光景を目にすると、それも忘れてしまいます。

荒々しい山肌に当たる夕日が次第に標高を上げ、山頂に近づく頃には里はもう漆黒の闇の中。
時の移ろいを垂直的に感じることができるのは、アルプスの峯の大きさを物語るもの。


”美すべて恐るべきものの始め”     リルケ

美は人があまりに近づいて、触れようとする時、その不可能なことを示してくれます。
それはこの山のように絶大であり、また触れがたいものであるからです。

ちょうど輝く星雲が、ほんとうはとてつもない核の放射であるように、その遥かな距離をもってしてはじめて美として感じることができるのです。
f0081988_831167.jpg
f0081988_8313252.jpg

[PR]
by schale21 | 2006-03-03 08:31 | 詩と文学 | Comments(3)

とりあえず

f0081988_647638.jpg

いつまで続くかわかりませんが、とりあえずはじめてみました。

”乏しき時代に詩人は何の為にあるか” と問うたのは、近代最高の詩人とも言われる、ヘルダーリン。
200年後の核の時代に、その意味を問い直したのは、高名な哲学者、マーティン ハイデッガーでした。
ハイデッガーはまた、”すべての人間は詩人としてこの世に住んでいる” というヘルダーリンの言葉を手がかりに、深い思索を続けます。

我々の日常は、日々喜びや悲しみに満ちており、それは世界中のいかなる人も、貧しい人も富める人も、いかなる国の人も変わりはありません。

写真はそのことを如実に私たちに示してくれます。
人々と自然の営為を映し出すことは、人が生まれながらに”詩人”であり、詠うことを運命づけられた存在であることを教えてくれます。
[PR]
by schale21 | 2006-03-01 07:37 | はじめに | Comments(7)