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極限への旅のいやはてに立つ予言者は、みな美しく幼い顔貌であった。
                                    芳賀檀  『アテネの悲歌 第5 贈与の書』 より



最後まで歩み通さねばならぬ道がある。
たとえ辛くとも 冷たい雨に濡れても
激しい氷雪に 頬を打たれても
進まねばならぬ道がある

時には 長い道のりを やり直させばならぬときもある
出会う幾千の分かれ道に 自らの歩みを疑う事もあろう
だが 歩みだした道は たった一人で 歩き通さねばならない

絶望に陥る時 希望は自分自身のなかに見いださねばならない
そして 立ち止まって休んだら また歩き出すのだ
性懲りもなく 打たれても 打たれても
まだ懲りないのかと 呆れるほどの忍耐と無頓着さで
歩み続けるのだ

だがその道は 最初からある道ではない
それは君自身が作る道なのだ

ある人は 不可能と嘲笑するだろう
だが 不可能という言葉ほど 甘味な正当化の言葉はない

ある人は そんな努力はナンセンスだと 知ったかぶりの評価を下すだろう
だが自ら参加せぬ人 手を汚さぬ人は 永遠に不幸であり孤独なのだ

惨めな似非評論家どもの 嫉妬の批判も歯牙にもかけず
君自身の道を歩み抜くのだ

schale



人生はある意味で短く、ある意味で長いものです。
しかしその幸不幸は、結局自分自身の責任でしかない。
それは人が決めるものではなく、自分自身が決めるものだからです。
現在はあらゆる知識が豊満し、全ての人が評論家であると同時に、単なる傍観者、自ら手を下さぬ批判者にすぎなくなった感があります。

偉大な生物学者のルネ デュボスは、人間が極地や砂漠にまで住んでいるのは、生物学的な科学では説明できないと言っています。
それは功利を越えた不合理だからです。
つまり人類は、そんなところに住む必要はないというのです。他の生物のように、自分の生物学的に最も適した環境に留まっていれば良かったのだと。
それは標高2000mのケニヤの高地です。
そこでは、衣服もいらず、暖を取るための苦労もいらず、食料に恵まれた不自由のない環境であると同時に、そこを出る事はすなわち、決死の戦いを強いられることを意味しています。

では何故、人類は地球のあらゆる過酷な場所にまで広がったのか。
それは科学では解明出来ない何か、人間の中に、限界への挑戦と、未知の冒険を求める傾向があると言う意外に説明はできないというのです。

私はこの考察が正しいかどうか知る由もありません。
しかし、20世紀最高の生物学者とも言われる科学者が、このような結論を下さざるを得なかったことに、深い意義を感じています。
それは、科学と詩との融合を考えた、ゲーテの思考を想起させます。
光の性質や、鉱物の組成を考察した科学者ゲーテにとっては、自然科学も詩も、何ら矛盾するものではありませんでした。
この点でのニュートンとの激論は有名なものです。
彼が指向したのは、詩としての科学でした。
宇宙の真理は、精神的なものと物質的なものを総合的、融合的に捉えてはじめて理解し得るものであると。

人間の危機は、人間存在を、物質と功利に還元して考えることの危険性に他なりません。
それは現在の科学の限界でもあります。

21世紀における遺伝子の解明は、今後も将来に渡って大きな影響をもたらすでしょう。しかし、それは人間存在の解明の、ほんの一部
分にすぎない事を信じています。


撮影シャ−レ
カメラ  Canon 1ds, 10D, レンズ 24-70F2.8

ウンタラー氷河上の瓦礫の道

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ビーチホルン 3945m 連峰を望む


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高地の村に水を引くため、断崖に作られた水の道 バリス州
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アレッチ氷河


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by schale21 | 2006-11-15 07:05 | 詩と文学 | Comments(11)