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風立ちぬ、いざ生きめやも

堀辰雄の思い出

”風立ちぬ、いざ生きめやも” ポール ヴァレリー。
軽井沢にまつわる小説家として有名な堀辰雄が、その代表作、『風立ちぬ』の主題として、また彼の全ての作品を貫くテーマとした言葉である。
人生も世界も辛い事に満ちている。だが同じく、美と意義に満たされている。
だから二度と来ないこの瞬間に、生のすべてを賭けて生き抜こうという、詩人の透徹した深い哲学である。

堀さんと私の恩師である芳賀檀氏は親友であり、芳賀博士は堀さんにドイツ語の講義やリルケの解説を行った教師でもあった。
芳賀博士の晩年、二人で堀さんのことを語り合った際、”堀さんは小説家としては日本では一番ではないでしょうか。また人間的にも大に変立派な方でした” と話されていたことがあまりにも懐かしい。
確かに、世界と関係を持たず、私事の小さくつまらない世界のみを問題とした、真摯で厳しい哲学なき、甘ったれたようなくだらない私小説しかない日本の文壇の中で、死と向き合った生の意味を極限まで追い求めたその姿は、西洋の世界文学を彷彿とさせるものだ。

思えば、私が文学的なことに出会ったきっかけも堀さんの小説を通してであった。
多感な17才の頃、『風立ちぬ』や『美しい村』などの美しい作品に触れ、その深く精緻な心理描写、一見、はかなく壊れゆくような繊細さの中に秘められた、強い意志と生への哲学に触れ、まるでそれまで知らずにいた心の目が開かれ、生とは何か、人生に果たして意義はあるのかとの問いに、死ぬ程苦しんでいた自分の新たな人生が開かれる思いがしたものだ。
その後の学生時代に、この疑問に決定的な答えを与えてくれた恩師がまた、堀さんの最も身近な人であったのも偶然ではないのかもしれない。

堀さんは幼くして実父と別れ、その後幼少の彼とその母を引き取った養父に育てられた。
律儀で優しい職人の彼が、実父でないことを知ったのは、遥かのちになってからのことであった。
またその母も関東大震災で亡くした上、当時17才であった彼も一晩中隅田川に浸かって難を逃れたことをきっかけに、結核を煩ってしまう。
この当時は死の病であった結核によってもたらされた、死を身近に直視して生きる生き方こそが、堀の全ての作品を貫くテーマとなった。

共に結核に病み、彼女はすでに死を免れないことを知りながら、恋人、矢野綾子に結婚を申し込む。
矢野の父は掘さんの誠実さに打たれ申し入れを了承するが、ほどなくして、八ヶ岳山麓の療養所で息を引き取る彼女を看とる事になった。
この時の体験をもとにしたのが、代表作『風立ちぬ』である。

生の儚さと、死の身近さを知る者こそ、生の美しさと価値を知るものである。
彼の目は、あまりに深くまた繊細であった。
一瞬一瞬のなにげない日常の現象に、永遠の美と価値を見いだして止まなかった。
それは私達の目が、いかに無頓着で、無関心であり、開き目くら同然であるか、厳しく教えているかのようでもある。
晩年の随筆、『大和路、信濃路』などを精読すれば、その深いまなざしに驚嘆せずにはいられないだろう。
かれはまた、日本最高の随筆家であることも間違いはないとも思う。

晩年、喀血に苦しみ抜く中で、もういっしょに死んでしまいましょうと言う妻に、もしそうすれば自分の全ての作品が無意味なものになってしまうと答えたという。
堀さんの芸術と文学の価値を語りきったエピソードではないだろうか。


風立ちぬ
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4803_14204.html
大和路、信濃路
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4806_14952.html


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by schale21 | 2007-06-02 04:33 | 詩と文学 | Comments(10)