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峠を歩く

レッチェン峠 その1

峠は古くから人と人を隔てる境界であり、また同時に人と人を結ぶ接点でもあった。
それ故、ハンニバルやナポレオンの伝説的な行軍を思い出すまでもなく、古代にあっても、そして今日においても峠は戦略上の重要な要所でもあった。

ユーラシアの西端にあたるヨーロッパ半島の中央には、巨大なアルプス山脈が横たわり、その気候、文化、人種にいたる明確な南北の境界線を作り出している。
山脈は地中海沿岸、南仏のコートダジュールに始まり、東はウィーンの森でドナウに没する1200kmの長さに渡ると言われるが、大局で見ればバルカン半島からカルパチア山脈、トルコやコーカサスの高山を経てイラン北部、そしてカシミヤからヒマラヤ、天山山脈に連なる大造山帯の西の一角を担っているといってよい。

有史以来、ユーラシア全般に渡ってこれらの山脈が、東西の文化を分ける決定的な境界となってきたのだ。
この境界は古代では、東部地中海からペルシャ、北部インドに渡る文明圏と中華文明、そしてさらに北部の遊牧諸民族の文化を隔てる境界であった。
ヨーロッパにおいてもアルプスは、地中海文明と北方の蛮族を隔てる決定的な境界であった。

この長いアルプス山脈主要部で最も標高が低く、最重要かつ古い峠はブレンナー峠である。標高は1375m。現在でもヨ—ロッパ南北を結ぶ大動脈である。今ではイタリア、オーストリアにまたがる高速道路が整備されている。
ブレンナー峠の西部は、オーストリアアルプスの最高峰が連なるエッツタールアルプス。
この氷河上3200mの地点で、1991年、5500年前のミイラ、通称エッツィが発見され、20世紀の大発見と言われた。氷詰めの遺体は保存状態もよく、衣服から身につけた武器まで完全なままであった。
興味深いのは、現在の最新の解析(チューリッヒ大学)では、動脈に受けた矢じりによる傷が致命傷になったのではないかということである。とすれば彼は古代の殺人の犠牲者ということになる。
世紀の発見が、殺人や戦争を象徴する遺物というのも、我々の現実を映し出しているようで皮肉なものである。

このブレンナー峠をのぞき、主要なアルプスの峠はいずれも2000mを越えている。
ヨーロッパの標高2000mでは真夏でも雪が降る。いうまでもなく秋冬は旅人にとって、まさに決死の覚悟を要する峠越えであった。峠には遭難した旅人を介護する施設が必ず設けられた。

いかにしてこのアルプスを越えるか。それは近代化の中でも大きな課題であった。
まず峠の道が舗装され整備されたが、それでも冬期は雪崩のため、ほとんど通行不可能である。
そこで現在ではその多くは数十キロに渡る鉄道、自動車トンネルで結ばれている。
先日は、スイスの国家的なプロジェクトであった、新レッツェントンネルが完成した(旅客運行は2007年末)。34kmのこのトンネルを時速250kmで、各国の高速列車が駆け抜けることになる。

このレッチベルクトンネルは現在でも鉄道専用トンネルで、自動車や貨物輸送のトラックは列車に車両を載せて通過することになる。
そしてこのトンネルの上部を越えるのが、スイスでももっとも古く、また険しく、そして美しい峠、レッチェン峠である。


峠の北の拠点、ガステルン谷にかかる滝。ガステルン谷はスイスの秘境。数年前、スイス大統領が国連事務総長コフィ アナン氏を連れて案内したことが記憶に新しい。
峠への道はこの滝にそって続く。

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ガステルン谷の最奥を見下ろす。見えているのはカンダーフィルン(氷河)。
かつては遥か下まで垂れ下がっていた。
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古くからの旧道は、氷河から流れ落ちる滝の横の崖を通っていた。崖崩れで何度か破壊されたあと、現在は復旧されてるが、危険な道であることに変わりはない。

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レッチェン氷河上に続く道。
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氷河上の瓦礫の道。大氷河ではないものの、不気味なクレパスが顔をのぞく。
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最後の難所。この崖を登りきれば峠の小屋。
背景はバルムホルン東壁。こう見えても標高3700mもある。
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標高2700mのレッチェン小屋。
南のレッチェン谷からは登る人も多く、小屋は賑わっている。
40人泊まれる小屋も満杯で、当日の予約だがなんとか場所を確保出来た。
現在拡張工事中。干してあるのは女性の下着。いかにもおおらか。
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日没のビーチホルン、3934m。バリス州側ベルナー山群を代表する山。峠からはドーム、バイスホルンなど4500m級のスイス最高峰の山嶺が美しい。
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小屋からの夜景。
このコースは日帰りも可能だが、日没と夜景を見たく小屋に一泊。
しかし時期的に遠景の風景はもう一つ。いずれ秋に訪れたい。
強風で小屋は揺れており、撮影にも苦労したが、翌日の快晴を願って就寝。
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by schale21 | 2007-07-31 23:19 | 詩と文学 | Comments(2)

旅立ち

ー親愛なるA氏に捧ぐ


それ故に人はまず橋を架けた。光と暗黒との間に。
ーー橋は私達の最も古い故郷であった。
それ故に橋は私達を魅了して止まない。
むしろ私達の本質が二つの世界にまたがる橋であった。

架橋の上に立つ事。ー 道程の半途に立つことは、詩人の運命であり、最も古い故郷であった。故に私達は出発に対して、旅路に立つことに最も深い郷愁を感じる。

ーーーーーー

始め喪失の悲しみがあって、音楽が生まれた。天使も又悲しみ故に生まれに相違ない。巨大な悲しみがあって巨大な讃歌が生まれた。

悲しみのない所、天使は存在しない。 ー 音楽もまた。ーー

真の知と愛とは眠りの中にも成育する。
真に愛するとき、それは死の中にも成育する。

芳賀檀   アテネの悲歌より




古来より輝く永遠の山脈。
永劫を告げる群青の氷河。
全ては想像を絶する自然の峻厳と、法則の美を語っていた。
それはまた、突然の喪失こそ、永遠への飛翔であることを教えていた。

全て断絶と別離とは、世界の高峰に通ずる法則であった。
極限に咲く花と、永劫の星座の美であった。

生の中に死あり、死の中に生あり。

ああ、生は、なんという驚きと悲しみに満ちていることだろう。
そして、なんという不滅の存在であることだろう。
青春を生を告げる若葉は死を免れ得ない。だがそれは、新たな出発と、再生への旅立ちへの啓示。
死は又、贈与と捨身への意志の体現。
愛なくして死はないという。
恋人達の眼差しは、この世に死という、新たな生の出発を贈与したのだ。

世界は生命の豊穣に満ち満ちている。
何処にも無はなく、存在(ザイン)の奇跡に溢れている。
絶対無とは、幼稚な観念の遊戯にすぎない。
故に、愛は、死を越えて死者を抱擁するだろう。
心は宇宙を包容するだろう。

schale


私達は、常に存在の奇跡に驚き、生命の不思議に魅了されながら生きています。そして出会いと別離の悲しみを、深く胸に刻みつつ生きています。
恋人達の眼差しほど、そのことを率直に深く語るものはありません。

人間の真実の愛と信頼が、死をも越えて永遠の力であることを自覚する時、友情こそ生命の本質であることを知るとき、あらゆる人生の苦境に立ち向かう絶対の力を、人間が得ることを感じてなりません。
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Photo Schale
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by schale21 | 2007-07-02 06:40 | 詩と文学 | Comments(10)