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運命との闘争

第4回  ドリス ヒック
              平和への意志

”愛する者は愛される者より常に偉大である”
   ライナー マリア リルケ

深夜のウクライナの古都、レンベルグ。
今だ残る家々の明かりは、世界何処の場所も変わらぬ家族の暖かいぬくもりを伝えていた。
中央ヨーロッパの要衝に位置するこの街は、ナポレオン戦争の時代から、戦略上の重要な起点として、幾度も戦渦にまみえてきた。

ナチスに併合されたオーストリア空軍の一軍人である彼は、戦闘爆撃機の乗員としてこの都市を上空から眺めていた。
その彼もまた、家族を思い、祖国を思う父であり、夫であり、息子達の一人であった。

目標にさしかかった。
しかしその目標は、重厚で重々しい軍事工場ではなく、幾多の団欒を伝える家々の窓であった。
彼の脳裏には浮かぶのは、子を思う母の眼差し、父の笑顔、愛し合う恋人達、安らかな眠りに沈むいたいけない子供達、それは彼の祖国の同胞と彼自身となんら変わりのない人間のありのままの姿であった。
今彼の下に眠るのは、彼と同じ父、彼と同じ夫、彼と同じ息子、そして母、妻、子供達である。

命令は下る。投下のレバーに手がかかる。
脳裏に一瞬にして浮かぶ、炎熱の地獄図、家を破壊し肉を引き裂く炸裂。泣き叫ぶ子供達。。
なんという残虐、なんという悲しみ、この蛮行を実行するには、彼の精神はあまりに正常であり、健康であった。
レバーを引く事はついにできなかった。爆弾を投下出来ずに帰路についた彼を待っていたのは、数ヶ月に渡る獄中での独房生活であった。

机上で平和を語る者は多い。
しかし、平和とは、この当たり前すぎるほど当たり前な、人間の精神以外どこにもありえない。すなわち戦争とは、人間が当たり前ではなくなることを指している。
戦争を肯定するとは、人間が連続殺人犯であることを肯定することに等しい。
しかし、歴史の真実は恐らく、人間が人間であると同時に、残虐な野獣、血に飢えた猟奇殺人者にもほかならないことを教えている。


女優ドリス ヒックは1966年、ウィーンに産まれた。
父とは産まれてすぐに別れた。若い母は仕事を厭う夫の姿に耐えられなかったという。
幼いドリスと歳若き母は、母の両親の元ですごすこととなる。
母方の一家はオーストリア社会党の闘士として知られていた。
ドリスの祖父は、ハプスブルグ帝政崩壊後の革命的な内戦の際も、最前線で戦った古参の党員である。
父のいない彼女は、必然、この祖父を精神的な父として育った。
この祖父こそが、先の空軍兵士である。

16才になった彼女は、近隣の化学工場の実験所で職業訓練を受ける事となった。
安全で確実な職場であるはずであった。しかし襲いよる精神的空虚感、自分の本質が別のところにあるという、いたたまれない焦燥感。
それは自己の中に深く眠っている、本来の自己を自覚し表現することこそが、自分の天分であると何かが教えているかのようであった。

堅実な職場を放棄して、彼女が目指したのは厳しい俳優の道であった。
国立の俳優養成学校を終えたあと、すぐにウィーンが世界に誇る伝統のブルグ劇場、ペイマン監督から連絡があった。すでに彼女の才能に注目していたのだ。
しかし、ドイツ語圏最高の格式を誇るこの劇場になんのコネもなく、貴族の家柄でもない彼女が入るには、今だ訓練は不十分であり時期尚早であった。

マスコミでもその才能と美貌から、将来を宿望される新人として幾度も取り上げられた。 
しかし、帝政時代から続く隠然とした階級社会であるこの国で、つてもない無名の新人が成功を収めるのは至難のことである。

思えば、革命戦士であり、ナチスの軍人でありながら、自らの心に従って命令に背いた彼女の祖父がそうであったように、彼女の挑戦は、保守的な体制と権威に対する挑戦であったのかもしれない。

舞台よりもテレビ、映画など、カメラの前での演技は得に冴えた。
彼女がレギュラー出演したテレビドラマシリーズは、空前の大ヒットとなった。
しかし、どこかしら妖艶な魅力漂う彼女のもとには、濡れ場やヌードの場面が多く、本来の才能を活かしきっているとは感じられなかった。何より、芸術家として以外に、単に商業的に自らを切り売りする事は耐えられないことであった。
どのような社会でも、媚を売れない者が生き残るのは難しい。なんの後ろ盾もなければなおさらのことだ。


人の知性には、様々な側面、要素があるという。数学的、論理的知性、スポーツで発揮される知性、芸術に関する知性、社会的知性、そして感性等々。
現代社会では、あまり論理的、数学的能力の側面のみが評価されすぎているといえるだろう。
いわば彼女は感情の天才であるといえるのかもしれない。それほど自らと人の感情に敏感であった。
人の善悪、そしてその人が本物かどうかを瞬時に嗅ぎ分けた。彼女に嘘をつける人はいなかった。
それは俳優として、並外れた天賦の才であると同時に、人生には破滅をもたらしかねない才能でもある。
彼女は少女の時代から語っていた。”憧れの女優はマリリン モンロー。しかし彼女の不幸は嫌だ。私は同時に幸せにもなってみせる。それが彼女がなし得なかったことだ”
モンローの孤独と、絶頂の中の不幸を知り尽くしているかのような言葉であった。

彼女もモンローと同じく、多くの男性を魅了する魅力溢れ、そして限りなく孤独であった。
多くの激しい恋愛はいずれも不幸に終わった。誰人も彼女の孤独を理解出来なかった。

彼女を理解する唯一の男性との愛も実ることはなかった。そしてそれは大きな痛手であった。
母国では才能と可能性を讃えるものはあっても、媚を売らない彼女に充分な報酬と仕事を与える者はなかった。
そして、すべてが八方塞がりに思えた。
もう狭いこの国では道はない。傷つくのはもうごめんだ。もっと広い世界で自分を試したい。

憧れのニューヨーク。モンローが俳優として演技の基礎を築いたアクタースタジオ。
知り合いのコーチであるS女氏から誘いがあったのはそんな時期のことである。すでに27才であった。
黒人のS女氏はトム クルーズやNキッドマンの専属コーチとしても名の通った名コーチとして知られていた。そしてドリスの才能を最も高く評価していたのも彼女であった。
狭く、そして高価なマンハッタンでの生活がはじまった。
仕事の鬼と言われるSコーチの元での訓練は、彼女が納得するまで止む事はなく、しばしば深夜、明け方まで及んだ。
グリーンカードの取得、厳しい経済状況、全てが現実の分厚い壁との闘争だった。
同時期にS ツバイクなど多くの文学作品に触れ、自身の精神的な訓練、向上にも励んだ。
また政治や人間の歴史、戦争と平和の問題に心を寄せ始めたのもこの頃のことだった。
まるで困難と不幸が、人の心を高め広げたかのようだった
アクタースタジオでの公演は成功を収め、DホフマンやRデニーロなど尊敬する名優達からの評価も得た。
しかし、ここでも彼女が最も必要とするものは得る事は出来なかった。
それは充分な報酬と、そして何より内面の孤独の克服である。

ニューヨークでの厳しい鍛錬は、俳優とて大きな向上をもたらした。母国からもテレビ、舞台などの誘いが入り、いずれもヒット作となり、大きな評価も得た。
しかし、それでも彼女の心は満たされなかった。
化学工場のラボで働く少女時代から、彼女の心を苛む何か。その何かに答えは得られてはいないのだ。

いったい何が足りないのか。自分が求めている真実と幸福はいったいどこにあるのだろう。
それは自身だけの成功、社会での名声なのだろうか。
そしてそれを得たとして、果たして本当に満足、幸せはあるのだろうか。

ーーーーー

トルストイは全ての名声、地位を捨てて、一老人として簡素な駅舎で生涯を終えたという。
有名なトルストイの家出である。
80才を越えた彼は、貴族の出自、皇帝でさえも手を出せないとまで言われた名声、そして強靭な肉体と健康。
何も足りない物はないはずであった。だがその彼にして尚、人生とは何か、その意義はどこにあるのかとの問いに、最後まで答えを見いだす事は出来なかった。
突然、家族と全てを捨てて放浪の旅に出た彼は、衰弱の末、無名の放浪の人として死んでいく。

ただ一人の成功を得る事はある意味たやすい。
だが、真の幸福を得る事は、全世界を変革するに等しい難事業でもある。
彼女が、無名にして偉大な祖父から受け継いだ血とは、自身の幸福は、他人の幸福、社会の変革と切っては切り離せないという、他者に対する感受性である。それは切実で切羽詰まった感覚でもあった。
そして、恐らく、自身の深い内面の孤独を克服する道もそこにしかない。

マンハッタンで間近に見た 11.September(世界貿易センターテロ)。
それはあまりに悲惨な体験であった。
これを機に、以前から関心を寄せていた政治的な問題にますます傾倒するようになった。国際政治とアメリカの世界戦略は遠い話題ではなくなった。
それは常に日常の、深夜のタクシーの中で密かにかわされる会話なのだ。
大統領選挙の行方も、市井の庶民は誰もが最初から知っていたという。
いかに物知りげな政治学者が、いかに複雑そうに何かを語ろうとも、それが世の中の庶民の現実なのだ。
それ以前から、イスラエル出身の友人宅からの国際電話は常に盗聴されていた。そんな環境は、世界と自身との関わりを否応にも自覚させるものだった。

いかなる権力も人の心を変えることは出来ない。
それ故、真の権力者とは、人の心を揺さぶる者のことである。
彼女の若き日からの願いは、舞台で、映像で、人の心を揺さぶる俳優になりたいということだった。
見る人の胸に突き刺さるような演技、それが彼女が願ってきたものだった。
まるでそれこそが、唯一平和をもたらす道、世界を変革する道だと心の奥底で知っていたかのように。


彼女の運命との闘争は今日も休まず続いている。
自らコーチとしても、イタリア、オーストリア、ドイツを舞台に、その実力で世界的と言われる俳優を育成することが願いでもある。

人間として成熟した彼女は知っている。内面の孤独と不幸の克服は、全世界を変革するに等しい難事業であると。
自身の不幸の克服は、同時に世界の悲惨に対する挑戦であると。
彼女の戦いは、一女性の個人の戦いではなく、世界を変革する戦いであると。
そしてその道は険しく、ほとんど勝利の可能性のない絶望の道であることも。しかし同時に選ぶべき、唯一の正しい道であることも。

撮影、文、schale
EOS1Ds, EF50mmf1.4, EF35mmf1.4, EF200mmf200


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by schale21 | 2007-08-15 07:47 | 運命との闘争 | Comments(8)

レッチェン峠2

現在は各州の連邦制をひくスイス。
ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏、さらに古代ラテン語であるロマンス語圏の4つの母国語を持つが, 全ての言語の習得は難しい現実から、学校で教える第二母国語を、国際語である英語にして簡略化しようと言う提案が出ているほどである。(現在はフランス語圏であればドイツ語を、ドイツ語圏であればフランス語を特別に習う)
つまり文化的な排他性が極めて少ない。よく言われるスイスの閉鎖性とは全く逆の現実である。

だが、山岳民族らしい独立心の旺盛さも際立っている。
このレエッチェン峠はバリス州とベルン州の境にもあたるが、中世まではしばしば両州の間で紛争があった。
各州間の軋轢を克服して現在のスイスの繁栄があるわけだが、人類の現代の段階は、民族国家という近代における人工的な産物の間における軋轢と、神的ともいえる不可解な絶対性、不可侵性を克服すべき段階にあると言えるだろう。


峠の山小屋で迎えた朝は期待通りの快晴であった。
峠の十字架はどんな歴史を眺めてきたのだろうか。

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雪上を行く登山者。
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氷河の融水があちこちに湿原を作っている。標高が高いため、植物はほとんど見られない。
彼方にバリスの高峰が美しい。
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雪線を降りて標高が下がると、森林限界までの間に美しい高山植物が咲き乱れる。
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彼方にラング氷河が見え始める。この谷がレッチェン谷。近代まで、人の入らない秘境の一つだった。
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こういう場所での一杯は堪えられない。
地元のビールにバリスの特産、ラクレット。要するにチーズを溶かしたもの。
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レッチェン谷は道路が出来るまでは不便極まりないところで、今でも古い独特の習慣が残っている。
なまはげに似たマスクは魔除けのもの。マスクをかぶって厳冬の中練り歩く祭りは世界的に有名。
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by schale21 | 2007-08-07 10:55 | 詩と文学 | Comments(4)