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運命との闘争

第5回  エゴの超克 写真家ラリー ウイリアムス

”贈与しうることは、その人の最も不滅の所有である”
                                 芳賀檀 『アテネの悲歌』より

1955年。
700年に渡って全中央ヨーロッパを支配した、ハプスブルグ帝政が終焉を告げて今だ三十数年。かつてヨーロッパの首都と言われた帝都ウィーンは、二度目の大戦による辛酸をなめ尽くしていた。
かつての大帝国は十分の一の国力しかない小国として、再出発しようとしていた。
ベルリンと同じく、米英仏露の4戦勝国による分轄統治を終えての独立は、期待と不安に満ちたものだった。
同じ年のイタリアアルプスの街、コルティナダンペッチオで行われた冬期オリンピックでは、チロル州出身のトニー ザイラーがアルペン三冠王となって、独立に華を添えていた。
彼の英雄的な勇姿は、敗戦に沈む国民にとって言葉にならない感動を与えたことだろう。
このオリンピックで、同じく敗戦国である日本の猪谷千春は銀メダルを獲得、これが今日に至るまで、史上唯一の日本人が獲得したアルペン競技でのメダルである。
この頃のウィーンの姿は、映画『第三の男』の舞台となり、世界中に知られるものとなった。

ラリー ウィリアムスが、オーストリア人の父とアメリカ黒人女性との間に産まれたのは、そんな時期のことである。
だが幼いラリーは父を知る事もなく、母親一人に育てられた。
優しい母は、居酒屋やバーで働きながら教育費を工面した。
社会党政権の街とはいえ、古い階級社会の名残の強い社会である。貧しい家庭に育つラリーが将来苦労しないためには教育しかない。
福祉も教育も発達した国ではあったが、金持ちや貴族の末裔の子弟の多くは公営の学校に通うことはなく、私立のエリート校に学ぶ機会に恵まれた。ウィーンのエリート校では授業は全てフランス語で
行われた。母はどんな苦労をしてでもラリーをこの学校で学ばせたかった。

彼は幼い頃から画才に恵まれていた。学校では知的な刺激も多い反面、そこで植え付けられるのは強烈なエリート意識でもあった。特別な階級に属さない彼にとって、その意識の裏付けは、自らの才能、知性でしかなかった。
いつしか成長した彼は写真家を夢見るようになった。

二十歳の時、母が急逝した。
唯一の身寄りであり、心の支えであった母。どんな時でも彼に希望を与え、明るい笑顔を絶やさなかった母。
人は心の痛みを乗り越えて人間となる。乗り越えた傷が大きい程、豊かな生をおくる可能性が広がる。人生を堪能しきる権利を得る事ができる。
そして自己の限界、エゴの限界を破る事が可能となる。

天涯孤独になった彼を勇気づけたのは、母の同僚達であった。
貧しいバーで働く同僚達が、お金を集めて彼のためにニコンFを贈ったのだ。それは庶民の手の届かない夢のような高価な宝物に等しかった。そして写真家として身を立てようという彼への出来る限りの激励だった。

写真家となるなら、世界の造形芸術、ファッションの中心であるパリに学ぼう。思い立てば行動は早かった。もとよりフランス語は母国語に等しい。
パリで彼の才能が開花し、認められるには時間はかからなかった。世界的写真家、ヘルムート ニュートンのアシスタントとして、この上ない環境で自らの才能を磨く事ができた。
数年後母国に帰国することには、早くもにスター写真家としての道を歩みだしていた。
Hニュートンから学んだ最大のこと。それは『普通』であることだったという。
ニュートンはその世界的名声など歯牙にもかけないかのように、気取りもなく普通の人間として振る舞った。そしてただ淡々と、自分の仕事を貫徹することだけに集中していたという。クライエントやマスコミの評価も批判も、全く意に介さなかった。

母国で気鋭の写真家として出発した彼に、すぐに大きな出会いがあった。
あるファッションショーの撮影に彼も招かれていた。一通りプログラムが過ぎ、おおとりが終わって幕引きかと思われた。
ところが、終わったと思った次の瞬間、ウェディングドレスに包まれたモデル達が舞台に現れた。
それこそがショーのクライマックスだったのだ。
ラリーの隣の写真家は既にフィルムを使い切ってしまい、彼の撮影したものを後で見せてくれと頼んだ。
彼の名は、オーストラリア出身の高名な写真家、パウル ハリスであった。
ラリーの撮ったものを見たパウルは、すぐにラリーの才能を見抜いた。芸術家ラリーが最も影響を受けた出会い、それがパウルとの出会いだった。
パウルもまた、ニュートンと同じく、名声や成功にはなんの関心も示さなかった。
多くの写真家、芸術家が、また駆け出しのラリーもまた、当たり前の社会的成功を求めて日々努力し、格闘していた。パウルはそんな行動を見下ろし笑うかのように超然としていた。
自分達があくせく怯えながら求めているものはなんだろう。ラリーはそんな疑問を押さえることが出来なかった。

パウルはある時、自らのエピソードを語った。
すでに写真家として成功していたパウルは、いつものように依頼されたものを撮っていた。
だがわき上がる疑問を押さえることは出来なかった。
これが自分が求めていたものか? 成功、名声、金、、こんなもののために自分は努力してきたのか。
写真とはいったいなんだ? なんのために自分は撮っているのか。
くだらない! どうしようもなくくだらない!
そう感じた彼は、手にする機材を全て海に投げ捨てたという。まるで虚飾の世界そのものを投げ捨てるかのように。
飄々と、淡々と自らの欲するものを撮り続けるパウルの姿は、ラリーの脳天を打った。

商業写真家として若くして成功を収め、充分な収入を手にしたラリーの前途は洋々と思われた。
スタジオ、機材に投資し、仕事も順調、内面まで自然に美しく描き出すポートレーに、多くの俳優、モデルが撮影を依頼した。
若く美貌と魅力に溢れ、また、どことなくエキゾチックな風貌を持つ彼に魅了される女性は後を絶たなかった。
会話は知的でありながら、野性味に溢れ、誰もが彼を好いて嫌う者は誰もいなかった。

だが、失意は突然訪れた。
彼の才能、能力を疑うものはいなかったが、突如として仕事が途絶えた。
流行という、ファション業界の宿命なのか。ニュートンやパウルなど、影響を受けた芸術家の妥協なき生き方が、おもねることを嫌う性格を作り上げたためなのか。
仕事の途絶えた彼にとって、スタジオへ投資した金額は莫大なものだった。借金が返せなければ、最悪、投獄の危険さえあった。この不安との戦いは、その後数十年続くものとなる。
投獄の不安、経済闘争、芸術家としての誇りとジレンマ。そして故郷でのエリート校の同僚達に見せなければならない虚栄も、彼の焦燥をいっそう不幸なものにした。

この頃、業界や、かつての校友達とは違う交遊もまた持つようになった。
それはもっと『普通』の人たちとの交遊であった。彼らはエリートでもなく、知的な仕事についているわけでも、芸術家でもなかった。だが、不思議なことに、その無名の普通の人たちこそ、彼の本質を最も厳しく見抜いた人たちだった。
彼らは言った。君は確かに多くの才能に恵まれている。そして多くの人に愛され、憧れの存在ですらある。だが、君は偽善者であり、君が求める成功など、浮き草のような虚栄に過ぎない。
友人の叱咤はあまりにも厳しく、残酷であすらあった。誇りを傷つけられた怒りも、失望もあった。
だが、その言葉は真実を突いていた。はじめて心に突き刺さる言葉だった。そして、自らの心から逃れることは誰もできない。
写真に関心のないその友人達は、ただ彼の人間性以外には興味はなかったのだ。
彼らは、例えラリーがどれほどの世界的な写真家となったとしても、露ほどの関心も示さなかっただろう。
これまで成功を求め、華やかではあっても狭く、虚飾に満ちた世界に生きて来た彼にとって、それは未知の分野での新たな挑戦に等しかった。それはいわば人間性を磨く戦いであった。 
国連に勤める妻と知り合ったのも、ちょうどそのころであった。借金のあるような男、芸術家気質で苦労するのは目に見えていると、反対する者も多かったが、夫の借金は自分の借金だと言い切った。
彼女もまた、ラリーの成功不成功ではなく、人間性の可能性に賭けていたのだ。

仕事柄、ジャーナリストとの付き合いも多く、語学が達者である彼は、次第に政治や平和の問題に関心を深めていった。
国連、とりわけ国際原子力委員会やOPECなど、もっともきな臭い組織が本拠を持ち、東西冷戦の狭間であるウィーンは、世界のスパイ天国でもあった。平和な市民生活をよそに、レストラン、高級ホテル、あらゆるところで情報合戦、盗聴合戦が繰り広げられていた。
広い交遊と、社交的な人柄を持つ彼のもとには、様々な人が集まったが、しだいに階層も職種も多様なものとなっていった。
そうして集るものは、単なる情報だけでなく、生きた生身の人間の感触であった。
彼が見て来た世界、贅沢で、虚飾に満ちた苦労を知らないエリートの世界、一流芸術家とそれを取り巻く人々、そのビジネスの世界、名もなく欲もない、無名であることをむしろ享受しているかのような友人達、そして貧しかった母とその同僚達。
研ぎ澄まされたその人間に対する感性の前に横たわるのは、日々繰り広げられる冷酷な国際政治の現実であった。
この世界は何かが狂っている。しかしそれを変えるのは確かに可能なはずだ。なぜなら狂っているのは、彼の知る一人一人の人間達でなく、その機構、その組織、そして人々が信じる常識の多くに他ならないからだ。

写真家ラリーは言う。
”自分は最高のアマチュア写真家でありたい”
それは写真家である前に、最高の人間でありたい、そして、それこそ写真家として最も本質的なことだという宣言である。
何も特別なことはいらない。ただ喜び悲しむ一人間として、何より他者の不幸に共に苦しむ勇気を持つ者として、巨大な不幸を産み出す不正義に、言葉と行動を起さざるを得ない者として生きる事、それだけが重要であると。

撮影ラリー、ウィーンの森に輝く月光、地元の俳優達
Photo, Copylight Larry Williams
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ラリー氏  彼の自宅にて
Photo Schale
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by schale21 | 2007-11-30 09:53 | 運命との闘争 | Comments(2)

変動の時代 3

神、野獣、神話の中の国家

’流血の聖書を閉じることは至難の業である。
何故なら毎夜聖書は血をもって書き足されている”
    芳賀檀  ”アテネの悲歌”より

世界には様々な不思議な事があるが、その最大のものの一つが、他ならぬ殺人に関するものである。
しばしば肉食と殺戮、とりわけカニバリスムスと殺人は祝祭的な喜びを伴って行われてきた。

歴史の進展とともに、個人の殺人は許されざるものとして制限されたが、人間が持ちうる最大の権限である殺人権は、のちに国王と国家に委ねられた。
殺すという権利は、他のものに超越した、他者に振るいうる最も絶対的で最高の権利である。人の命を奪いうるということは、全ての権利に超越している。
個人としての殺人が許されないのは、それが”人間”として行使しうる権利の範疇を越えているものと認識されているからに他ならない。
つまり殺しうる権利を正統に持ち得る者は、人間を越えた存在ということになる。
それは古代から現代に至るまで、人間ではなく神に属する権利であった。

近代社会では、国家にのみ殺人が許されている。それは戦争と死刑を指しているが、この二つは共に、人間の上に君臨する絶対者の権利の行使であるという点で同じである。

そして最も不思議なことは、国家の持つその権利を人々は自明のものとして受け入れ、問題にされることがないことである。
すなわち、国家の持つ権利は絶対的で、無批判な存在である。

もう一つ、この無批判性という特異な性格を持つものがある。
それは神である。
神は絶対的な存在であり、その権利が疑われることも検証されることもない。
その権利に疑いを持たれるとき、神は神ではなく地上の存在(不滅ではなく、死を持つ、滅する存在)となる。
ここに神と国家が事実上同義であることが見て取れる。
すなわち、国家の権利とは神の権利に他ならない。それは地上の全ての権利に超越し、いかなる批判も受け入れない、完全に無反省な存在である。
国家概念が出来る前(18世紀)、その権利の保持者は王であった。
それ故、地上の王は、しばしば神の代理人(古代において王はしばしば司祭であった)、あるいは神の権利を受け継ぐもの(王権神授説)であった。
それは神に替わるものとしてしか、殺人の権利を行使し得ないことを知っていたからである。

では、いったい神とは誰なのであろうか。

神の性格、特質を考えてみよう。
彼は残忍である。そして絶対的に無反省である。自らの誤謬を問う事は神の本質に属さない。その本質は批判を受け入れない絶対性にあり、その由来と出生が問われるとき、神はその地位と意味、権力の本質を失う。

彼は驚く程短気で激情的である。そして気分屋である。
好悪の情が激しく、愛する者には寛容で柔和だが、気に食わなければいかなる厳罰も躊躇することはない。そして、しばしば激しい好悪の情は同じ相手に向けられる。場合により、一国家、一民族の殲滅も稀ではない。
そして、彼の権力は、この絶対的な暴力と罰する力に裏付けられている。


ーーーーーー

人類の歴史をひもとくとき、興味深い事実が浮かび上がる。
類人猿であった我々の祖先は、比較的安全な樹上生活を捨てて、サバンナの平地に降り立った。
そこは豊富な獲物に恵まれた環境であると同時に、自らが強力な肉食獣の獲物に容易になりうる、危険極まりない選択であった。
そして恐らく、この勇気ある決断に人類の多くの秘密が隠されているのかもしれない。

木を降りた我々の祖先は、大型肉食獣の格好の獲物であった。
足は遅く、強い顎も爪も持たない。
近代や現代においても、住民の大半が虎やライオンの餌食となって没落した村落は、インドやアフリカに後を絶たない。
ある類人猿の調査では、ヒョウなどの大型猫類による幼児期のからの殺戮は、個体の半数を越えるという。
我々の幼児期において、もっとも恐れる悪夢は虎やライオン、熊、狼などの肉食獣動物の餌食になることである。この幼児の持つ悪夢は、世界の民族に共通するものであるという。
これは我々自身の生命の歴史の記憶を語っているにすぎない。

しかし、古代人にとって、これらの恐るべき肉食獣はまた、畏敬すべきライバルでもあった。
我々の祖先はまた自ら狩人でもあったからだ。
その強い力と俊敏さで獲物を狙う姿は、同じ獲物を追う者にとって強い憧憬の的であり、また競うべき存在でもあったことだろう。
このライバルにして、畏敬の存在、そして何より、自らの命を奪う、逆らい難い恐るべき力を秘めた超越的な存在。
野生に生きる祖先達にとって、大型の肉食獣はまさにそういう存在であり、力と権力の象徴であった。
現在においても、世界の国旗や地域の旗、シンボルなどに最も用いられるのが、野生の肉食獣達のモチーフである。
古代、中世においてはその傾向はなおさらであった。
熊や虎、ライオン、大型の猛禽類。これらが国家や共同体の象徴とされるのは偶然ではない。

この人間の野獣に対する憧憬、畏怖と、神に対するそれはあまりに酷似している。
そしてなによりその性格自身も。
すなわち神の本質は野獣である。
彼の恣意的な暴力と絶対的な無反省性は、そのことを指し示している。

人間社会において近代化とは、世俗化の異名に他ならない。
宗教性、神秘性は陰を薄め、理知的、合理的、論理的な思考とシステムが取って替わる過程である。
しかしそれは権力の行使と、実行のあり方の変更であって、権力の本質そのものにかかわるものではない。その本質、権力それ自体は今だ問いとして発せられることはなく、疑義を挟まれるこのない自明のこととされている。それは聖なるものの領域である。
それが、殺人が人間の最大の犯罪であると認識されていながら、国家の戦争権が疑問とされることがない、解き難い矛盾の秘密なのだ。
つまり、国家の本質と殺人権は、未だ神話の中の事象であり、宗教的な絶対性、無批判性を伴っている。

合理性を重んじる、英米などのプロテスタント国家においても、国家のみは聖なる存在である。
人々はその信仰を、宗教的なものであるとすら自覚していない。
神の権利を引き継いだ国家。この国家の名の下に犯罪は正当化され、驚くべき、想像を絶する残忍さが容認される。それは合理ではなく、神話的な出来事であり、血をともなう祝祭である。

殺戮と祝祭。戦争に伴う熱狂。
第一次大戦の勃発においても、欧州諸国では、熱狂的な昂揚と喜びに満たされた。
それは多くの戦争において同じであった。まるでコロッセウムのグラディアトーレ(剣闘士)をめぐる熱狂のように。
それは温かい血がしたたる肉を食らう、動物の熱狂に他ならない。


注 類人猿時代からの、神、野獣と人間の心理を廻る考察は、ある女性社会学者、ジャーナリストの思索から刺激を受けたものです。
またここで指摘する神とは、主に一神教(ユダヤ教)的な性格の神であり、東洋的な多神教の神、シャーマニズムの神々(日本の神道、古代北欧ゲルマンの神話、ギリシャやローマの神々、インディアンの自然神信仰など)では状況を異なる場合が多い点、さらに、後に、大乗仏教の影響を受けたであろうイエスやマホメットが、あまりに厳格に過ぎる神(ヤーベ)に、より人間的な性格をそこに盛り込もうと試みたことも考察する必要があります。

写真、文、シャーレ
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by schale21 | 2007-11-14 23:37 | 平和への構想 | Comments(6)