<   2014年 08月 ( 2 )   > この月の画像一覧

家政婦ヴィヴィアン マイヤー

f0081988_22443127.jpg



http://www.vivianmaier.com


'私は現存する唯一の真実の画家だ。私に唯一並ぶのはモネの目だけである"
パウル セザンヌ


最後まで南仏プロバンス近郊のサンビクトワー山を描き続けたセザンヌは、今日では多くの美術史家達によって、ルーベンス以来、西洋美術史過去400年間で最高の画家と評価されている。
だが、彼の絵は、生前、ただの一枚も売れることはなかった。


2009年の春、83歳になる一人の女性が亡くなった。
前年の暮れ、厳冬のシカゴで、凍った地面に足を取られ転倒した事故が元で、その後起き上がる事はなかったのである。
ビビアン・マイヤーという、フランス風の名前とオーストリア風の姓を持つその女性は、フランス人の母とオーストリア人の父との間にニューヨークで生を受けた。少女時代はアメリカと母の実家、アルザスとの間を行ったり来たりの生活だったようだが、詳細は知られていない。
1951年、25歳で最終的にフランスからアメリカに渡った後は40年間家政婦として暮らした。
生涯なんの財産も持ち合わせておらず、家族も身寄りもない孤独で貧しい女性であった。名声や虚栄とはほど遠い、全く無名の人物である。
だが、彼女が唯一、肌身離さず、様々な家庭へ家政婦として住み込みで働くための引っ越しの際も、必ず大切に持ち歩いていたのが、部屋一杯にもなるという段ボール箱に無造作に詰め込まれた、プリントもされていないネガフィルムと、それを撮ったローライフレックスの二眼レフカメラであった。

彼女が亡くなる少し前、シカゴの現代史を研究する歴史家が、当地のオークション会場で研究用の資料として、10万枚にもなるネガフィルムと当時の雑誌、切り抜き写真などをわずか数百ドルで手に入れた。
それはマイヤーが、生涯撮り続け、身近な友人にすら見せる事のなかった写真の数々だった。
最晩年は路上生活者同然だったマイヤーは、膨大な写真の入った箱を保管する倉庫代を納める事ができず、倉庫の持ち主によって接収され、売りに出されたのだった。

写真に関しては専門的な知識がないものの、直感的にその価値を感じた歴史家のマローフ氏は、ネガをスキャンし、デジタル化した上でサイト上に公開。写真家達の評価を仰いだ。
マイヤーの写真は瞬く間に大反響を呼び、20世紀の最も偉大な写真家の一人と評価する者まで現れた。
しかしマーロフ氏は、当の写真の作者は何者か、名前以外は全く知ることが出来なかった。
そして、とある新聞の死亡広告の記事で、偶然ヴィヴィアン•マイヤーという名前を見つけたのだった。

何故、彼女が写真を撮り続けたのか、そして誰にも見せることがなかったのか、謎のままである。
今後彼女の生涯とその作品についての研究がどれほど進んだとしても、それは謎であり続けるかもしれない。
すでに"名声"を得た彼女の作品は、印刷され、本として出版され、映画となって公開され、それを公開する人たちにお金をもたらす存在となっている。
名声もお金も手にする事がなかったのは彼女だけである。
だが彼女は、意図的にそういった世間的なものから身を引いていた。
また、作品は研究の対象となり、いつ頃、どこで撮ったのかも明らかになりつつある。
しかし、いくら作品の外的な解析が進んだところで、真実は彼女の作品の中にしか見出すことが出来ないであろう。

彼女は、街中で出逢うあらゆる人々を撮った。
とりわけ、路上生活者や黒人、悲惨な人々、悲惨さを当たり前の様に生きる人々にカメラの目を向けた。
また、毛皮を着て、物質に恵まれたように見える人々もその対象だった。逮捕される側、逮捕する側の人々にも同じ目を向けた。そして多くの自画像を撮った。
彼女にとっては、あらゆる人々が彼女と等距離にいる存在だった。そして自分自身とも。いいかえれば、彼女は自分を含むあらゆる世界の事象から身を引きつつ、尚、それらと関わり続けることをやめなかったのだ。

詩人のリルケは、彫刻家ロダンの秘書として暮らすパリ時代に、パリの路上を彷徨い、浮浪者達を観察し続けたという。
彼は、世界と自分を見ることを学んでいたのだ。

もし、彼女の写真が生前に知られていたなら、彼女は撮る事をやめていたかもしれない。
私にはそう思える。
[PR]
by schale21 | 2014-08-27 23:05 | Comments(0)

善と悪

https://www.youtube.com/watch?v=06vGPnfWHxM

度肝を抜かれてしまった。
このような演奏は聴いた事がなく、まさに、”空前絶後、未知未聞”である。
激高する奔流に、枯れ葉のようにもまれてゆくほかはない。
人生と歴史は、かのようにして開かれたのだろうか。
聴力を失ったベートーベンの胸中の音楽は、このフルトヴェングラーが拓いた境地とどのように重なるものだったのだろうか。

史上かつてない大戦争のなかで、戦勝への決意と民族的高揚、信ずる理想のために死を決意した若者たちの純真。そして、来るべき大破壊を前にしての、かつてないほどの祝祭的な輝き。

フルトヴェングラーは、ヒトラーの誕生記念祭として、この一月後に行われた演奏には乗り気ではなく、仮病を使ってなんとか避けたかったそうである。
だが、ナチスという悪の絶頂において、多くの最高の精神の輝きがあったことは、安易に論じられるべき事象ではないだろう。
それは、悪の本質とは何かに関わる問題である。
究極の悪と究極の善、そして、究極の芸術もまた星座の圏の事象である。
[PR]
by schale21 | 2014-08-19 08:24 | Comments(0)