「ほっ」と。キャンペーン

レッチェン峠2

現在は各州の連邦制をひくスイス。
ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏、さらに古代ラテン語であるロマンス語圏の4つの母国語を持つが, 全ての言語の習得は難しい現実から、学校で教える第二母国語を、国際語である英語にして簡略化しようと言う提案が出ているほどである。(現在はフランス語圏であればドイツ語を、ドイツ語圏であればフランス語を特別に習う)
つまり文化的な排他性が極めて少ない。よく言われるスイスの閉鎖性とは全く逆の現実である。

だが、山岳民族らしい独立心の旺盛さも際立っている。
このレエッチェン峠はバリス州とベルン州の境にもあたるが、中世まではしばしば両州の間で紛争があった。
各州間の軋轢を克服して現在のスイスの繁栄があるわけだが、人類の現代の段階は、民族国家という近代における人工的な産物の間における軋轢と、神的ともいえる不可解な絶対性、不可侵性を克服すべき段階にあると言えるだろう。


峠の山小屋で迎えた朝は期待通りの快晴であった。
峠の十字架はどんな歴史を眺めてきたのだろうか。

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雪上を行く登山者。
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氷河の融水があちこちに湿原を作っている。標高が高いため、植物はほとんど見られない。
彼方にバリスの高峰が美しい。
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雪線を降りて標高が下がると、森林限界までの間に美しい高山植物が咲き乱れる。
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彼方にラング氷河が見え始める。この谷がレッチェン谷。近代まで、人の入らない秘境の一つだった。
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こういう場所での一杯は堪えられない。
地元のビールにバリスの特産、ラクレット。要するにチーズを溶かしたもの。
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レッチェン谷は道路が出来るまでは不便極まりないところで、今でも古い独特の習慣が残っている。
なまはげに似たマスクは魔除けのもの。マスクをかぶって厳冬の中練り歩く祭りは世界的に有名。
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# by schale21 | 2007-08-07 10:55 | 詩と文学 | Comments(4)

峠を歩く

レッチェン峠 その1

峠は古くから人と人を隔てる境界であり、また同時に人と人を結ぶ接点でもあった。
それ故、ハンニバルやナポレオンの伝説的な行軍を思い出すまでもなく、古代にあっても、そして今日においても峠は戦略上の重要な要所でもあった。

ユーラシアの西端にあたるヨーロッパ半島の中央には、巨大なアルプス山脈が横たわり、その気候、文化、人種にいたる明確な南北の境界線を作り出している。
山脈は地中海沿岸、南仏のコートダジュールに始まり、東はウィーンの森でドナウに没する1200kmの長さに渡ると言われるが、大局で見ればバルカン半島からカルパチア山脈、トルコやコーカサスの高山を経てイラン北部、そしてカシミヤからヒマラヤ、天山山脈に連なる大造山帯の西の一角を担っているといってよい。

有史以来、ユーラシア全般に渡ってこれらの山脈が、東西の文化を分ける決定的な境界となってきたのだ。
この境界は古代では、東部地中海からペルシャ、北部インドに渡る文明圏と中華文明、そしてさらに北部の遊牧諸民族の文化を隔てる境界であった。
ヨーロッパにおいてもアルプスは、地中海文明と北方の蛮族を隔てる決定的な境界であった。

この長いアルプス山脈主要部で最も標高が低く、最重要かつ古い峠はブレンナー峠である。標高は1375m。現在でもヨ—ロッパ南北を結ぶ大動脈である。今ではイタリア、オーストリアにまたがる高速道路が整備されている。
ブレンナー峠の西部は、オーストリアアルプスの最高峰が連なるエッツタールアルプス。
この氷河上3200mの地点で、1991年、5500年前のミイラ、通称エッツィが発見され、20世紀の大発見と言われた。氷詰めの遺体は保存状態もよく、衣服から身につけた武器まで完全なままであった。
興味深いのは、現在の最新の解析(チューリッヒ大学)では、動脈に受けた矢じりによる傷が致命傷になったのではないかということである。とすれば彼は古代の殺人の犠牲者ということになる。
世紀の発見が、殺人や戦争を象徴する遺物というのも、我々の現実を映し出しているようで皮肉なものである。

このブレンナー峠をのぞき、主要なアルプスの峠はいずれも2000mを越えている。
ヨーロッパの標高2000mでは真夏でも雪が降る。いうまでもなく秋冬は旅人にとって、まさに決死の覚悟を要する峠越えであった。峠には遭難した旅人を介護する施設が必ず設けられた。

いかにしてこのアルプスを越えるか。それは近代化の中でも大きな課題であった。
まず峠の道が舗装され整備されたが、それでも冬期は雪崩のため、ほとんど通行不可能である。
そこで現在ではその多くは数十キロに渡る鉄道、自動車トンネルで結ばれている。
先日は、スイスの国家的なプロジェクトであった、新レッツェントンネルが完成した(旅客運行は2007年末)。34kmのこのトンネルを時速250kmで、各国の高速列車が駆け抜けることになる。

このレッチベルクトンネルは現在でも鉄道専用トンネルで、自動車や貨物輸送のトラックは列車に車両を載せて通過することになる。
そしてこのトンネルの上部を越えるのが、スイスでももっとも古く、また険しく、そして美しい峠、レッチェン峠である。


峠の北の拠点、ガステルン谷にかかる滝。ガステルン谷はスイスの秘境。数年前、スイス大統領が国連事務総長コフィ アナン氏を連れて案内したことが記憶に新しい。
峠への道はこの滝にそって続く。

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ガステルン谷の最奥を見下ろす。見えているのはカンダーフィルン(氷河)。
かつては遥か下まで垂れ下がっていた。
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古くからの旧道は、氷河から流れ落ちる滝の横の崖を通っていた。崖崩れで何度か破壊されたあと、現在は復旧されてるが、危険な道であることに変わりはない。

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レッチェン氷河上に続く道。
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氷河上の瓦礫の道。大氷河ではないものの、不気味なクレパスが顔をのぞく。
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最後の難所。この崖を登りきれば峠の小屋。
背景はバルムホルン東壁。こう見えても標高3700mもある。
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標高2700mのレッチェン小屋。
南のレッチェン谷からは登る人も多く、小屋は賑わっている。
40人泊まれる小屋も満杯で、当日の予約だがなんとか場所を確保出来た。
現在拡張工事中。干してあるのは女性の下着。いかにもおおらか。
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日没のビーチホルン、3934m。バリス州側ベルナー山群を代表する山。峠からはドーム、バイスホルンなど4500m級のスイス最高峰の山嶺が美しい。
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小屋からの夜景。
このコースは日帰りも可能だが、日没と夜景を見たく小屋に一泊。
しかし時期的に遠景の風景はもう一つ。いずれ秋に訪れたい。
強風で小屋は揺れており、撮影にも苦労したが、翌日の快晴を願って就寝。
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# by schale21 | 2007-07-31 23:19 | 詩と文学 | Comments(2)

旅立ち

ー親愛なるA氏に捧ぐ


それ故に人はまず橋を架けた。光と暗黒との間に。
ーー橋は私達の最も古い故郷であった。
それ故に橋は私達を魅了して止まない。
むしろ私達の本質が二つの世界にまたがる橋であった。

架橋の上に立つ事。ー 道程の半途に立つことは、詩人の運命であり、最も古い故郷であった。故に私達は出発に対して、旅路に立つことに最も深い郷愁を感じる。

ーーーーーー

始め喪失の悲しみがあって、音楽が生まれた。天使も又悲しみ故に生まれに相違ない。巨大な悲しみがあって巨大な讃歌が生まれた。

悲しみのない所、天使は存在しない。 ー 音楽もまた。ーー

真の知と愛とは眠りの中にも成育する。
真に愛するとき、それは死の中にも成育する。

芳賀檀   アテネの悲歌より




古来より輝く永遠の山脈。
永劫を告げる群青の氷河。
全ては想像を絶する自然の峻厳と、法則の美を語っていた。
それはまた、突然の喪失こそ、永遠への飛翔であることを教えていた。

全て断絶と別離とは、世界の高峰に通ずる法則であった。
極限に咲く花と、永劫の星座の美であった。

生の中に死あり、死の中に生あり。

ああ、生は、なんという驚きと悲しみに満ちていることだろう。
そして、なんという不滅の存在であることだろう。
青春を生を告げる若葉は死を免れ得ない。だがそれは、新たな出発と、再生への旅立ちへの啓示。
死は又、贈与と捨身への意志の体現。
愛なくして死はないという。
恋人達の眼差しは、この世に死という、新たな生の出発を贈与したのだ。

世界は生命の豊穣に満ち満ちている。
何処にも無はなく、存在(ザイン)の奇跡に溢れている。
絶対無とは、幼稚な観念の遊戯にすぎない。
故に、愛は、死を越えて死者を抱擁するだろう。
心は宇宙を包容するだろう。

schale


私達は、常に存在の奇跡に驚き、生命の不思議に魅了されながら生きています。そして出会いと別離の悲しみを、深く胸に刻みつつ生きています。
恋人達の眼差しほど、そのことを率直に深く語るものはありません。

人間の真実の愛と信頼が、死をも越えて永遠の力であることを自覚する時、友情こそ生命の本質であることを知るとき、あらゆる人生の苦境に立ち向かう絶対の力を、人間が得ることを感じてなりません。
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Photo Schale
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# by schale21 | 2007-07-02 06:40 | 詩と文学 | Comments(10)

風立ちぬ、いざ生きめやも

堀辰雄の思い出

”風立ちぬ、いざ生きめやも” ポール ヴァレリー。
軽井沢にまつわる小説家として有名な堀辰雄が、その代表作、『風立ちぬ』の主題として、また彼の全ての作品を貫くテーマとした言葉である。
人生も世界も辛い事に満ちている。だが同じく、美と意義に満たされている。
だから二度と来ないこの瞬間に、生のすべてを賭けて生き抜こうという、詩人の透徹した深い哲学である。

堀さんと私の恩師である芳賀檀氏は親友であり、芳賀博士は堀さんにドイツ語の講義やリルケの解説を行った教師でもあった。
芳賀博士の晩年、二人で堀さんのことを語り合った際、”堀さんは小説家としては日本では一番ではないでしょうか。また人間的にも大に変立派な方でした” と話されていたことがあまりにも懐かしい。
確かに、世界と関係を持たず、私事の小さくつまらない世界のみを問題とした、真摯で厳しい哲学なき、甘ったれたようなくだらない私小説しかない日本の文壇の中で、死と向き合った生の意味を極限まで追い求めたその姿は、西洋の世界文学を彷彿とさせるものだ。

思えば、私が文学的なことに出会ったきっかけも堀さんの小説を通してであった。
多感な17才の頃、『風立ちぬ』や『美しい村』などの美しい作品に触れ、その深く精緻な心理描写、一見、はかなく壊れゆくような繊細さの中に秘められた、強い意志と生への哲学に触れ、まるでそれまで知らずにいた心の目が開かれ、生とは何か、人生に果たして意義はあるのかとの問いに、死ぬ程苦しんでいた自分の新たな人生が開かれる思いがしたものだ。
その後の学生時代に、この疑問に決定的な答えを与えてくれた恩師がまた、堀さんの最も身近な人であったのも偶然ではないのかもしれない。

堀さんは幼くして実父と別れ、その後幼少の彼とその母を引き取った養父に育てられた。
律儀で優しい職人の彼が、実父でないことを知ったのは、遥かのちになってからのことであった。
またその母も関東大震災で亡くした上、当時17才であった彼も一晩中隅田川に浸かって難を逃れたことをきっかけに、結核を煩ってしまう。
この当時は死の病であった結核によってもたらされた、死を身近に直視して生きる生き方こそが、堀の全ての作品を貫くテーマとなった。

共に結核に病み、彼女はすでに死を免れないことを知りながら、恋人、矢野綾子に結婚を申し込む。
矢野の父は掘さんの誠実さに打たれ申し入れを了承するが、ほどなくして、八ヶ岳山麓の療養所で息を引き取る彼女を看とる事になった。
この時の体験をもとにしたのが、代表作『風立ちぬ』である。

生の儚さと、死の身近さを知る者こそ、生の美しさと価値を知るものである。
彼の目は、あまりに深くまた繊細であった。
一瞬一瞬のなにげない日常の現象に、永遠の美と価値を見いだして止まなかった。
それは私達の目が、いかに無頓着で、無関心であり、開き目くら同然であるか、厳しく教えているかのようでもある。
晩年の随筆、『大和路、信濃路』などを精読すれば、その深いまなざしに驚嘆せずにはいられないだろう。
かれはまた、日本最高の随筆家であることも間違いはないとも思う。

晩年、喀血に苦しみ抜く中で、もういっしょに死んでしまいましょうと言う妻に、もしそうすれば自分の全ての作品が無意味なものになってしまうと答えたという。
堀さんの芸術と文学の価値を語りきったエピソードではないだろうか。


風立ちぬ
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4803_14204.html
大和路、信濃路
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4806_14952.html


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# by schale21 | 2007-06-02 04:33 | 詩と文学 | Comments(10)

運命との闘争 第3回 早過ぎた天才 ジョルダノ ブルーノの英知と信念


”書物を焼くものは、いつの日か人間も焼くようになるだろう”
                 ハインリッヒ ハイネ


宇宙は偉大である。
それは人間自身のように無限で尊い。
人間と自然を抑圧し、貶める者は全て卑小な悪であり、嫉妬のなせる所行である。

ジョルダノ ブルーノ。
貴方の精神は、人類の青春そのものであり、あまりにも美しく、また早熟であった。
あまりにも勇気に溢れ、純潔であった。

直感を越えた直感、英知の中の英知。
300年の歳月を経てアインシュタインは、はじめて貴方やルネッサンスの天才達の正義を証明した。
かつて貴方を断罪した法王は跪き、私達に先駆けて逝った貴方の前に全人類が驚嘆の声を挙げる時が来たのだ。
絶対の権力さえ、一つの青春、一つの英知に勝ち得ないことを指し示したのだ。

宇宙と人間。
この一体の覚知こそ、未来への指標。
この指標に立ち返るとき、貴方の偉業はこれまでに増して、燦然と人類史に輝くことだろう。

schale


私にはいくつかの夢がある。
若き時から願ってきたその夢の一つは、いつの日か、ルネッサンスを代表するのイタリアの思想家、ジョルダノ ブルーノの殉教の生涯を戯曲に書く事であった。。。

西暦2000年。
21世紀の開幕を祝う年頭の祭典で、ロンドン、メルボルン、パリ、ベルリン、ニューヨーク、、、”先進国”の諸国では代わり映えのしない盛大で高価な花火が打ち上げられた。
それはこの文明の浅薄さと、刹那的に過ぎない価値観の象徴のように思われた。
未来の大陸アフリカではしかし、ブラックアフリカを代表する大詩人、ムチャーリ氏が、昇りゆく太陽に向かって未来の詩を詠詠と高らかに朗読する姿が、全世界に映し出された。
来るべき未来の人類の精神性が何処にあるか、如実に映し出されるような光景であった。

そして同じ年の初めに、もう一つの世界の精神史を刻む事件があった。
バチカンがガリレイ裁判、ブル−ノ裁判の不当性について公式に謝罪したのだ。
それは、西暦1600年のブルーノの火刑による壮絶な死から、ちょうど400年後のことであった。
だが、ブルーノの諸説の正当性と火刑そのものについては、いまだ見解は表明されていない。
今日にあっても、彼はローマにとってあまりにも危険な存在であることに変わりはない。

ルネッサンスの都フィレンツェ。
この地に立つ者は、誰でもイタリアルネッサンスの青春の息吹を胸に深く感ずることだろう。
フラ アンジェリコの天使の飛翔、ミケランジェロの不正を打つ怒りのダビデ、ラファエロの無限の抱擁。
ルネッサンスとはまさに人間が人間であることを、生命とは手段でなく、目的そのものであることを勝ち取るための戦いであった。

だがその戦いと成果は、造形芸術のみに限られたものではなかった。
この人間と教会と政治世界とが、最も堕落した時代に絢爛と花咲いた偉大な精神の革命は、何にもまして思想と精神の戦いであった。

画家や彫刻家はしかし、イエスや天使、旧約聖書の伝説の勇者の姿のなかに、人間の価値を描き出す事ができた。
誰にも知られず、教会の権威と惡、政治と人間の堕落に妥協なき戦いを挑む事ができた。
だが、一介の神学者、哲学者にとってその戦いは、即、死を意味するもの以外なにものでもなかった。

ブルーノが産まれたのは、ナポリ郊外の片田舎、1548年のことである。
後期ルネッサンスの芸術はすでに爛熟期を迎え、思想史の世界では、精神史上のルネッサンス運動ともいえる宗教改革の嵐がヨーロッパ全土を席巻していた。
科学の世界では、コペルニクス、ガリレイ等が、全ヨーロッパの精神世界を揺さぶる画期的な学説を唱え始めた時代であった。
ローマ教会の権威はその根本から揺らぎ、後の啓蒙思想、そしてフランス革命へと受け継がれるキリスト教の世俗化が、本格的にはじまった時代である。
その歴史は、また、ローマから奪った神の権威と力に、人間が取って替わろうという不遜な試みの始まりともいえる時代であったといえるだろう。
それ故、動揺する神の姿をどのようなものとして描くかは、後の歴史を決定づけるものであったといえるかもしれない。

ブルーノの思想は、端的に、イエスは人間であり、最も優れた人間の中の人間、模範の人ということであった。
またこの宇宙は、無始無終の、空間的には無限、時間的には永遠の存在であり、人間とその住む惑星である地球もまた、宇宙の中のありふれた存在、無数に存在する生命、文明の内の一つに過ぎないというものであった。
彼にとって時間と空間もまた、他のあらゆる存在と同じく相対的なものであり、無数の空間、無数の時間が存在した。
そして、輝く星達は、太陽と同じく自ら光を放つ恒星であり、太陽もまたその一つに過ぎないというものである。
なぜなら、神は無限であり、無限の存在である神が、有限の宇宙を創るはずがないからであるという。

コペルニクスの思想をいち早く支持したブルーノであったが、太陽ですら宇宙の中心ではなく、宇宙には中心はどこにもないと同時に何処でも中心であるとの思想は、コペルニクスをも遥かに越えて、相対性理論以後の現代に通ずる思想であった。
また生命を持つ惑星が、宇宙に無数に存在するという思想は、外の宇宙だけではなく、自らの”内面の宇宙”を達観した者だけが持ち得る思想であったといえるかもしれない。
それは人類の思想史上、ヘラクレイトスやエンペドクレスのようなソクラテス以前の古代ギリシャの哲人達、古代インドのウパニシャッドの思想家達、そしてそれを継いだ仏陀とその後継者の思想を想起させるもので、西洋思想史の中では全く特異なものであった。

しかし時代は宗教改革の最中。教会は異端の撲滅に全精力を注いでいた時代である。
ドミニク会の修道僧であった彼は、若くして当然のごとく、最も危険な故国イタリアを去らざるを得なかった。
パリ、ジュネーブ、ロンドン、ヴィッテンブルグ、フランクフルト、チューリヒ、プラハ
、、、ヨーロッパ全土に渡る彼の放浪と学究の旅がはじまる。
だが、彼の精神を理解するには、時代はあまりにも早過ぎ、そして人類の精神の暗黒の闇はあまりにも深かった。
すでにその才気と奇才な思想から、名の知られた知識人ではあったが 、いずれの地でも、伝統ある大学の教鞭に立つ夢ははほとんど叶わなかった。
新教の地、旧教の地、いずれからも受け入れられることはなく、むしろその卓越した思想と人格は、恐れられ排斥された。
彼の書籍を印刷する印刷業者は、迫害を恐れて、決して出版元が表に出ないように隠したという。
だがしかし、その反面、常識と権威に囚われない民衆と青年学徒には限りなく愛された。
そして、その心を揺さぶる言説こそ、権威にしがみつく以外生きるすべを持たぬ者が、最も恐れて止まぬものであった。

諸国を放浪すること16年。
その間、強い望郷の念に悩まされたという。
彼は、学術的な書物をはじめてラテン語ではなく、自らの母国語で書いた学者とも言われている。
その彼にも遂に故国イタリアの地を踏む時が来た。
だが名門バトバァ大学では、念願の故国での教職の機会は間近であったが、その職はガリレイに奪われる結果となる。
そして、ある有力な貴族の招聘でベニスへ。
しかしこれは、彼を異端審問にかけるための罠であったともいう。 

ローマの官憲によって、囚われの身となって獄中で生を送る事7年有余。
その間続いた詰問、拷問の数々。
だがしかし、自説を撤回すれば罪は免れるとの誘いを断固として最後まで拒否し続けた。
火刑に処される彼が最後に語った言葉は、”本当に恐怖に怯えているのは、何が真実か知っていながら不当な判決を下す君たちの方だ”
という恐るべき勇者の雄叫びであった。
当然のごとく彼の全ての書物は禁書となり、それは1965年の第二バチカン公会議まで続くことになる。

彼が何故にこのような思想を持ち得たのか、その英雄的な勇気と確信はどこから来るものなのか。
私は思う。それはダ ビンチやミケランジェロなど、多くのルネッサンスの天才達が知っていた事なのだ。
そしてそれは、決して新しいものではなく、古代の人類の知恵でもあった。そして未来の私達の知恵でもあることだろう。
だが、時代を突破した者の生は、あまりに大きな悲劇であった。
21世紀が、彼の精神と勇気の前に跪き、讃える時代となるならば、私達の未来もまた、開かれ、希望に満ちたものになるに違いない。


文、撮影 schale
Canon EOS 1Ds, 1Dkm2




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# by schale21 | 2007-05-04 07:21 | 運命との闘争 | Comments(10)

運命との闘争 

第二回 人生の闘将   ヘルマン マイヤーの挑戦

『登れば登る程、人間の限界はなおいよいよ遥かであった』
芳賀檀


トニー ザイラー、フランツ クランマー、カール シュランツ、私が会った超一流のスキーヤーの目はみな鋭く美しく透明であった。
それは獲物を狙う猛禽のようである。
急斜面とスピードに打ち勝つ精神力のためであろうか。あるいは自身の恐怖に打ち勝つ闘争心のためであろうか。
しかし、マイヤーほどの妥協なき、恐るべき目を私は知らない。
それは人生と自らの運命に闘争を挑む者の目である。

オーストリア、ザルツブルク州の郊外、フラッハウ、ポンガウなどからなる広大なスキー場は、アネマリモーザーなど、歴代の数々の名スキーヤーを産み出して来た地であ
った。
またスキーを国技とするスキー大国オーストリアの中でもとりわけスピードレースの盛んな地であり、現在のレース界を支えるアトミックスキーの本拠地でもある。

若きマイヤーは喘息持ちの、痩せた、むしろ虚弱な少年であった。
スキー学校の経営に携わる父の影響のみならず、この国のとりわけこの地では、世界的な競技選手になって母国にメダルをもたらす事は、多くの少年が憧れる、特別な人生の成功を意味していることである。

マイヤーの試練はすでに少年時代にはじまった。
母国の誇る、スキー選手養成学校。地元のこのスキーエリート校に入学はしたものの、体格、体力不足、才能不足、これが後に歴代最高のスキーレーサーとも言われる彼に対する評価であった。今日では信じられない評価である。
加えてスキーヤーにとって命であるひざの故障。
しかも喘息には高地でのスポーツは厳禁と言われる。

国内で優秀な成績を収めることは、即世界的選手であることを意味するような環境で、この学校から退学となることはむしろ当然であった。
理由は ”才能不足、将来性なし”!

当時の彼の、スポーツとしてのスキーに関する才能については私の評価し得えるところではない。
彼にはしかし、凡人には決して持ち得ない並外れた才能が一つあった。
それは敗北を敗北として受け入れない、並外れた闘争心であった。

いかなる現実の敗北も、優れた専門家の評価も、彼の闘争心を覚ますには足りなかった。まるでそんなことには無関心であるかのように、自身の夢を追い求めて止まなかった。
それはいつの日か、母国に、そして自身と自身を育ててくれた両親のために、オリンピックの金メダルをもたらす事であったという。

この国のスキーレベルはあまりに高く、その層はあまりに厚い。
例え日本や他国ではその例すらほとんどないワールドカップでの優勝経験や入賞経験が何度もあっても、オリンピックや世界選手権の国内枠に入る事すら出来ない選手もまれではない。
そのために国籍すら変える者がいる程である。
マイヤーはその後もそんな地元のアマチュアレーサー、ホビーレーサーとして競技を続けた。

人生はしかし、彼の闘争心を試すかのように、またも大きな試練を与えた。
一家の家計を支える父が、自宅の改装の途中、屋根から滑落し、大怪我をおってしまう。
夏は壁職人、冬は地元のスキー教師として家計を支えざるを得なくなった彼は、チロル州、ザンクトクリストフのスキー教師養成学校でスキー教師として本格的訓練を受けることとなった。
このオーストリアが世界に誇る基礎スキーの総本山での訓練、そして壁職人としての過酷な労働が、後に誰も想像し得ないような成功の基礎をもたらすことになったのである。
ヨーロッパでのセメント袋の重さは50kg(日本は25kg)。このセメント袋を何度も何度も担ぎ上げる辛い労働。一般スキーヤーを相手のスキー講習、レースに打ち込むこことの出来ない思い通りにならない環境。
しかし、この環境こそが、常識破りの”史上最高のスキーヤー”を造り上げたのだ。

この労働を通し、マイヤーの肉体は、かつて虚弱、華奢と言われたののが嘘のような強靭なものとなった。
プロレスラーのような筋肉の塊。しかしそれは、ジムのみで鍛えられたものではなく、土方仕事を通して、実戦的に鍛えられた肉体であった。
また彼の基礎スキー技術は、後のナショナルチームでも最高と言われるものとなった。深雪を滑らせれば並ぶ者はないとも言われる。ナショナルチームで最も”スキーが上手い”と言われるその技術は、オフピステスキー世界選手権の上位を独占するアールベルグのスキー学校で学んだものであった。
その技術のため、視界が悪く、ピステが荒れて条件が悪ければ悪い程、さらに並外れて強いというマイヤーの伝説を産み出すこととなった。

そんな中、アマチュアレースを続ける彼を後押ししたのは、彼を少年時代から知る地元の恩師であった。
彼に最後のチャンスをと、ザルツブルク州のチーム責任者であった恩師の裁量でヨーロッパカップに。
そこでいきなりのシーズン優勝。同じ年に、ワールドカップに前走者として出場。
前走者にも関わらず、”全力疾走”した彼のタイムはなんと上位入賞者と同じ。そのデビューからして、あまりに型破りであった。
翌年、伝統のドイツ、ガルミッシュパルテンキルヘェンのスーパーGで初優勝。
時すでに25才!
スイスの伝説的名選手、ツーブリッゲンの引退年齢が27才であったことを思えば、いかに遅咲きであったかがわかる。

彼のフォームもまたあまりに型破り。大回転の名手、その美しいフォームで知られるグリューニゲンをして唖然とせしめるものであった。
しかし2位に2秒以上の差をつけて勝ち続ける選手は(1位と2位の差が、2位と30位ぐらいある)、皇帝クランマー以来のことである。
この予期せぬ突然のデビューに、オーストリアマスコミはオリンピックを前にして騒然となった。


長野オリンピック。
それは彼が少年時代から夢見た舞台であった。
そして初日の花形競技、ダウンヒル。
当日になり雪の問題で、練習時の旗門とは微妙にコースが変えられた。
私は今でもこの変更に疑問をもっている。当代の滑降トップ選手のほとんどがコースアウト、下位の成績であったことがそのことを物語っている。
オリンピックとは、古代ギリシャ以来、世界最高の者を選び出す舞台であるはずなのに。
そこは限界まで戦いきる男の中の男(女性であっても)、最高の人間を選び出す舞台であったはずなのに

彼はこの変更となった旗門を通過するにはあまりに速過ぎた。
その選んだコースはあまりにも直線的であった。
初回の計測ですでにそれまでの1位に1秒以上の差。
完走すれば想像を絶するタイムでの優勝であったはずだ。。。

この時コースアウトした彼が空中を飛行した距離は60mとも80mとも言われる。
ジャンプ競技に参加すれば良かったのにとも揶揄されたその飛行は、3重の安全フェンスをも飛び越えた。
常人であれば、死か半身不随を意味するような時速百数十kmでの転倒であった。
しかし、彼の精神、肉体はあまりに強靭であった。
まるで平凡なスキー教師のように、何事もなかったかのように自らスキーを担ぎ上げ、深い深雪をかき分け立ち上がった。
彼が空中で考えた事、それは恐いではなく、 ”ああ、これで子供の頃からの夢であった金メダルを逃した” ということだという。
そのわずか二日後の大回転、後のスーパーGで二つの金メダルを手にすることは誰にも想像出来ない事であった。
この転倒によって超人はしかし、3つの金メダルを手にする以上の伝説を造り上げた。

その後のキャリアは、まさに空前絶後、想像を絶するレベルのものである。
デビュー後わずか4シーズン、数々の記録を塗り替えるそのキャリアの絶頂の最中のことであった。
トレーニングの帰りの途中のオートバイ事故。
過失は相手方にあった。
世界的なスポーツ選手に重傷を負わせてしまった老年のそのドライバーを気遣い、相手のことはほとんど語っていない。

医師の診断は、普通なら片足切断。車椅子ではなく自分の足で歩けるようになればむしろ幸運。
度重なる手術をへて、スキー靴をはじめて履いたのは2年以上たってからのことであった。
しかし1時間で足は腫れ上がり、それ以上滑る事は出来なかった。

事故から3年。かつて神懸かり的な強さを誇ったスーパーG、舞台は地元ともいえる伝統のキッツビュール。
傷跡は今だ生々しく、片足のスキーブーツも特製であった。
その数ヶ月前、大回転の名門、スイスのアーデルボーデンで再びワールドカップの舞台に立ったことすら奇跡と言われた。
ライバルはやはり逆境を克服して、歴史に名を残すスターとなった同僚エバーハルター、アメリカの新星のスーパースター、ボーデ ミラー。
なみいるライバルを押しのけての彼の優勝は、自身ですら信じられないことであった。

鬼のような恐ろしい形相のマイヤー。その鬼の目にも涙が光った。
マスコミはマイヤーも涙するのか、やはり人間だったのかと書き立てた。
しかしそれは単に、スポーツ競技に優勝した喜びではなく、自身の運命に不可能の闘争を挑み、勝ち取った者の涙、人間の限界とその力を示した者の涙であった。
彼もまた、人間が運命の奴隷ではないことを、運命を支配するのは、神でも他者でもなく、人間の不屈の意志に他ならない事を指し示した。


限界に挑む者に対する憧憬。
それは人間独自のものである。
”私には、功利を越えて人間は人間の限界に挑む性向があるとしか説明できない” という微生物学者ルネ デュボスの洞察と直感こそ真実であるのかもしれない。

schale


撮影 schale
アーデルボーデン 大回転でのマイヤー
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ライバルたち
天才スキーヤー、ベンジャミン ライヒ
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アメリカのスーパースター、ボーデ ミラー
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レースの前に行われた航空ショーにて
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伝統のラウバーホルン、ダウンヒルのマイヤー
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# by schale21 | 2007-04-20 07:17 | 運命との闘争 | Comments(15)

ハムレット


無条件で、無償で矜らかな貴公子!
その完璧な美しい形姿は
絢爛たる舞踏会を飾るにこそふさわしい。
今は併し、勝ち誇る暴力の支配の世界に、
剣をとって対決する火炎の意志。
完全な孤独にも馴れきったアウトサイダー。

ーーーー

その狂気のため、
貴方の高貴さは群鴉の中で
一そう高く輝き、
抑圧された青春の憤怒の爆発薬は
炸裂して一切を吹きとばそうとする。
が今日はただ忍耐が全てである。

ーーーー

ああ、墓場の中のハムレット!
このすぐれた思想に対して、
ドアクロアも羨望のため赤面する。
御身こそ、全ゆる不可能の越境者、
未知未聞の魂の領域の支配者よ。
ときにはふと憂愁と哀惜と恋が
あなたの行方に立ち塞がる。
そのために人はしばしばあなたを、
怯墮にして逡巡する実行への
不能者であるとはき違えた。

ーーーー

ただ亡父に対する私怨の復仇のためだけではない。
世界の不正に対する嫌悪と嘔吐が
凡て克服し難い悪への挑戦が
短い美しい生命を
革新の剣を抜くことに賭けしめる。

ーーーー

かくて全世界と対決し、
世紀を変革する劇的行為があった。
たとえ死の中にも
私達のために失われた
大地を回復しようとして。
喇叭を鳴らせ、銅鑼を打て。高々と。
『偉大なる、シーザーともなるべかし王子』のために。
彼は私達の存在の位置を決定し、
新たな火を点じ
未来への星をかかげた。
          
           芳賀檀 『ハムレット、ドンキホーテ』より



明けの明星は一人夜明けを告げて消えてゆく。
ちょうど宵の明星が、壮麗な銀河の夜を告げて輝くように。
あまりにも早く未来を知り、あまりにも深く真実を知った者の孤独と挑戦は、胸を打つ悲劇であり、感動をもたらす美である。
それは私達が日々、気づく事もなく触れている自然の営みであり、世界の真実そのものである。
日常とは、峻厳の真実から目を逸らす事で成り立っている。
しかし時に、美はまた、未来を告げる鐘の音であり、私達を導き叱咤する希望の星であるのだ。

schale

撮影 schale Canon 1Ds

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峻厳なアイガー
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月光に輝く深夜のシュレックホルン (4200m)
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# by schale21 | 2007-03-31 07:40 | 詩と文学 | Comments(16)

ドンキホーテ


阿呆道化の彼、或る日全世界を
不正の手より開放せんものとて野に出で征く
               ーセルバンテスー

彼は全身善意に燃え、勇気に溢れ、
悪を撃ち、邪を拒けて、一歩も退かない。
夢想する至上の貴婦人の前には他愛無く跪き、
ことその虚無の実現のためとあっては、
凛冽全て現実の枠を踏み越え、
没落を前にし、没落に向かって、
敢唯として征く。
併し、そして同時に限りなく己を損害し、
いつも惨敗と汚辱に塗れ、しかも
敗惨は甚だ後世益し、変革した。
がついにえたものと云えば、嘲侮と憫笑と
底抜けの阿呆という栄誉だった。
 
ーーーーーー
丈徒に高く秀で、あくまで古燥、
ひたすら後世を祈るべき
不惑の年にして、なお突如
青春を奪還し、
敢えて痩せ馬を駆って、再び還らぬ
遍歴の騎士の旅の上る。
彼も又火炎にして、無条件の脱落者、
限りない世紀の突破者、越境者である。

ーーーー

行く所、いつもつばを吐きかけられ、
石を投げられ、棍棒、足蹴の打擲をうく。
しかもなほ、稟質高潔、性根は矜り高く、
夢は決して背を屈せしめない。
むしろ名状し難い壮気は
旺んにして天をつく。
俗界の腐敗堕落は
何の関する所があろう。懐にびた一銭貯えもないが
およそ遍歴の騎士たるもの
報酬のために戦わぬ云う。

ーーーーーー

昔、ランスロット、アマディス、ロランド等、
円卓の騎士らの伝説の虹が
恍として今、ラマンチャの荒野に紅く花咲こう云う。
ロマンははかなく、虚無の夢のみが完全である。
何故と云って、未来への夢、
多彩な高貴な夢の他に
現実も真理もない。

ーーーー

重なる現実の悲惨と、
とことんまでたたきのめす裏切りとは、
いっそう彼の心を高くかちあげるだけ。
まことに、無条件な、限りない献身にとっては、
遮るなにものもない。 ー それ故に、
現実と夢の隔てなく、
幻滅と幸せの見境ひはなかった。

ーーー
臆したか、サンチョウ奴!
群羊は敵の大群でないなどと、たわ言を誰が云う?
又たとえ吾が崇める
世にも貴なるドルキネアスの君を、
一度もかいま見た事なく、
凡そかき口説いたことがなかったとしてもよろしい。
人の眼とは夢を見るための器であって、
現実を映す鏡ではない。

ーーー

外部から見ればうつつけの阿呆の喜劇。
併し、道化者は又哀しい悲劇でもあった。

ーーーー

彼の撃とうと云う悪竜と巨怪は
いつも身の周りを、囲繞する
陰険奸策の徒であり、
卑劣にして、残忍な世俗であった。 
勿論彼もその多数者に対して、
惨めにも敗れ去る以外になかった。
しかもなお、彼の意志と夢は
限りなく健康であり、完全であった。

それはこの悪の砂漠に、
一点の希望の花を点じ、
ゴチックのいかなる尖塔よりも深く、
虚構の世を突破した。 

ーーー

所詮、不正をうつことは
この世では不可能だった。
併し、彼はついに失われた高貴の世界の王者であり
破れた、甲鎧、折れた長槍は、
かつて何人にも敗れなかった。
それ故に私はまるで刑場にひかれてゆく
イエスの姿を見るように、
あなたの前に跪き、涙ぐみ、
うなだれるのである。

 
    芳賀檀 『ハムレット、ドンキホーテ』より





”人間の眼とは夢を見るための器であって、現実を映す鏡ではない” 
ーー 何と言う美しい言葉でしょうか。
この言葉は,夢こそ現実であることを、またあらゆる夢が現実をなりうることを語っています。
また幸福が、常に希望を持つ者の側にあり、現実の嘆息に沈む者の側にあるのではないことも。
このあまりにも美しい詩の前に、いかに多くを学び、いかに多くの勇気を得た事でしょうか。
それは、人生に意義があるかとの問いかけに対し、いや意義があるのではない、意義を自ら与えるのだとの意志に等しい。

この世の正義と不正義が、この世の真の勝者と敗者とが、歴史で学んだものとは逆だとしたら、これほどの震撼すべき事柄があるでしょうか。
そうです、人間の歴史は不正と残虐の歴史であり、”限りない悲しみと涙の歴史 ー ブルクハルト” であったのです。
だがいかなる個人も団体も、自らの歴史と出生を正当性し虚飾しないものはない。
人間の悲劇の根源は、歴史家がその歴史を美しいものとして書いたことにあったと考えています。
つまりある意味、最大の犯罪人は歴史の審判者たる歴史家にあったのだと。
ランケもホイジンガーもヘーゲルもトインビーもこの罪を逃れ得ないでしょう。
古代の司馬遷やヘロドトスは、その後の人類の歴史をどのような絶望をもって眺めた事でしょうか。

しかし、現実と真実を見据えるリアリストの眼と、未来への理想を描く眼とは矛盾するものではありません。
なぜなら夢を見ているのは私たちの方だからです。
夢とうつつは逆であり、私たちが夢と呼んでいる多くのものこそ現実なのです。
そして全ての夢はいずれ”現実”となります。
それが恐らく”進化”というものの正体であり、原子爆弾も至高の芸術も、波濤を越えた未知への冒険の実現もかわりはありません。

人間のあまりにも残虐なその歴史は、いかなる詭弁をもってしても、いかなる高尚で難解な理論をもってしても正当化することはできない。
いや、行為を正当化せねばならぬそのこと自体がその不正義を物語っているのではないでしょうか。
嫡児の正当性を語ること自体が、その奪った王冠を物語っているのではないでしょうか。
あまりに多く自らを語りすぎるこの事実こそ、正義と不正、夢と現実が逆転しいることを雄弁に語っている気がしてなりません。

人間の歴史や文学、芸術、その優れた行為の中で、時折この真実を英雄的に雄弁に教えてくれる時があります。
その歴史を変えた ”人類の星の時間”(シュテファン ツヴァイク)ともいえるその瞬間こそ、本当に我々が模範とすべき学ぶべき瞬間なのかもしれません。

schale


schalephoto@yahoo.co.jp

撮影 schale Canon 1Ds
写真一枚目
ハプスブルグ最後の皇女エリザベート
マイヤーリングで自決を遂げたルドルフ皇太子の娘。第一次大戦の引き金を引いた皇帝フランツヨーゼフ2世の孫娘。
皇女に生まれながら離婚のあとオーストリア社会党の幹部と再婚。波乱の生涯を送る。彼女が過ごした最後の邸宅にて。

写真四枚目 
1953年エベレスト初登頂を遂げたネパール人ガイド、テムジンの遺品のナイフと彼の兄弟。友人の登山家の所有。

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# by schale21 | 2007-03-15 09:19 | 詩と文学 | Comments(2)