極北の光3  真夏の豊穣 シュピッツベルゲンの生

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私たちが追いやった野生たちは、今や極北の地、熱帯の密林の中にわずかに、そしてひっそりと残されるのみである。

環境破壊。
それは私たち自身の生命そのものの破壊に他ならない。
それは、環境という外部の破壊ではなく、心という目には見えない、しかし、宇宙の最も決定的で本質的な営みの破壊の投影にほかならない。

人は神になろうとした。
全て、創造と破壊の力を手にしようと、もがき、苦しんだ。
だが、彼らが神と信じたものは、破壊と嫉妬の悪魔に他ならなかったのだ。

この最後の楽園に暮らす動物たちは、今だ恐れることを知らない。
躍動する、見知らぬ者への好奇に満たされている。
好奇とは、世界に対する信頼と愛の証に他ならない。
しかしもう、残された時間と場所は、わずかもない。

紀元前5世紀。第一の枢軸時代において、私達を導いたのは、偉大なる覚者、人類の教師たちだった。
ある歴史家は、紀元前後から7世紀にかけて、イエスの思想や大乗仏教の興隆の時代を第二の枢軸時代と名付ける。砂漠の部族の古く非人間的な伝統と対峙し、女性たちを野蛮な暴力から解放せんと試みたモハメッドも同様である。
それは、先覚者の思想を、知的エリートの専有物から解き放ち、万人のものとするための壮烈な戦いだった。

今、新たな枢軸時代にあって、私たちを導くのは偉大な天才達ではなく、私たち自身意外にはないのだ。
それは、さらに大きな世界精神の目覚めである。




北緯80度、ノルウェー領、シュピッツベルゲン島は、スカンジナビア北端と北極点の間に浮かぶ氷河に満たされた孤島である。
この永久凍土の大地の奥深くには、核戦争の惨劇に備え、地球の生命の種子を絶やさないため、世界各地の植物の種子が保存されているという。
なんという愚かなことであろうか。
私たちは私たちの知性を、より本質的で、より価値的、創造的なもののために使う事を学ぶべきである。

文  Schale
写真 Simona Schale


Camera EOS5Dmk2, EOS400D,
Lens Sigma 80-400mmF5.6, EF18-55mmF5.6, Tamron 90mmF2.8Macro
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by schale21 | 2012-10-29 10:49


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