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変動の時代1

”人間の歴史は幸福の歴史ではなく、限りない悲しみと涙の歴史である”
 ヤーコブ ブルクハルト

 歴史の誤謬

人間の常識には多くの誤謬がある。その誤謬はしばしば破壊的である。
そして、その多くは自らの歴史に関するものである。

誤謬の第一は、人類の先史時代、さらにさかのぼって類人猿の時代の自らの姿を、獰猛な動物に素手と粗悪な武器で立ち向かう勇敢な狩人として書いた事。
実際には、戦う力の弱い彼らは、大型肉食獣の格好の獲物に過ぎなかった。
この悲しく、受け入れ難い事実は、今日にいたるまで、人間の歴史と心理に大きな陰を落としてきた。
もう一つの破滅的な誤謬は、人類史を犯罪の歴史ではなく、概ね美しいもの、あるいは向上の歴史、意義に満ちた歴史として描いてきたことである。
いずれの誤謬も、自らを美化したいという心理に基づいている点で共通である。 

凶悪犯罪者が自らの罪の重さを自覚する事は容易ではない。
絶対的な力を持つ他者からの強制がないならば、なおさらのことである。
そして、自らの罪を自覚する能力が絶対的にないものは、もはや犯罪者ではなく、精神異常者である。
精神異常者を罰する事は意味を持たない。ただその暴力が猛威を振るう事がないよう収監するほかはない。でなければ屠殺の道である。

ーーーーー

もしこの宇宙に他の優れた文明があって、彼らがこの惑星を眺めたらなんと思うだろうか。
人間はこういった考察の基に、多くの映画を作り小説を書いて来たが、その内容の多くは、アクレシブな宇宙人が我々を侵略し、それに勇敢な地球人が応戦するというものだ。
だが、果たして本当にそうであろうか。
第一、そのような攻撃的な文明は、他の惑星系に移動出来るほど高度に発達する前に、自らの内紛で滅びてしまうだろう。
攻撃と征服を義とする文明に、未来はありえない。
その攻撃的な宇宙人の姿は、我々自身の姿を映したものにすぎない。

地球を眺める宇宙人はきっとこう思う事だろう。
”おお、人類とはなんというアクレシブで残酷な種族だ! 過去にネアンダータールのような競合する種族を絶滅に追いやり(仮説)、今また、地球の環境と生物そのものを簒奪し、完全に滅ぼそうとしている。そして自らもその残虐な殺し合いの果てに、滅亡しようとしている。
彼らがもし自ら滅亡することなく、充分な技術を持ち得たら、きっと我々を攻撃し、富を奪い、容赦なく殺戮するに違いない。
今のうちに手を打って、この種族を滅ぼすか(死刑)、危険な武器を持たぬよう管理する(収監)ほかはない”

宇宙から見た人類は、精神に異常をきたした、残虐な猟奇殺人者、連続殺人者にすぎないことだろう。

我々を管理する、圧倒的な力を持った異星人を持たぬ以上、この犯罪の歴史に終止符を打ち、未来まで生き延びる条件の第一は、自らの犯罪の系譜を自覚する事以外にない。
歴史はその根底から書き換えられなければならないのだ。


お詫びとお知らせ
個人的な諸事情もあり、更新も不定期な上、内容も訪問してくださる多くの写真関係の方々にとって、つまらないものも多いかと思います。
いつも訪問してくださる方へ感謝申し上げるとともに、今後も不定期な更新となることをお詫び申し上げます。
(次回は写真家ラリー ウイリアムス氏、詩人、独文学者、芳賀檀氏について取り上げる予定です)
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by schale21 | 2007-10-22 09:23 | 平和への構想 | Comments(2)
Commented by stf_y at 2007-10-26 21:32
コメントするのは久々ですが、いつもちゃんと読んでますよ。
(他にも、少なくともアクセスカウンターの数だけの読者が常にいるわけですし。)
ただ読んでいつも思索に入ってしまうので、
安易にコメントできないというが理由ですかね、私の場合(苦笑)

人間は自己の罪を認識しない、
というより無意識に、強力に認識を拒否しているのでは、
とすら思います。
はるか聖書の物語から現代の東京の街宣車まで、
そういった例は珍しくありません。
Commented by schale21 at 2007-10-28 07:37
ご無沙汰です。
実は先日、あまり気にしないアクセスカウンターを見てみて、更新がないにも関わらず、毎日のぞいてくださる方が少なからずいっらしゃるのでびっくりしました。
大変申し訳なく思い、書きかけの記事を使ってなんとか更新した次第です。

”人間は自己の罪を認識しない”、
中国の天才思想家天台智顗は、浅きは易く深きは難しとは釈迦の署判なり。浅きを去って深きにつくは丈夫の心なりといっています。プラトンの洞窟の比喩にも通じる見解ですね。
すべては正視することからしか始まりませんね。
しかし病理の根は深いと感じます。僕は人々が何故そんなに楽観的でいられるのか不思議に感じる事があります。


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