運命との闘争

”登れば登る程、人間の限界はなおいよいよ遥かであった”
                                                             芳賀檀


第一回  ベートーベンのロマンス

轟く雷鳴 天空を揺さぶる激怒の来光
貴方の正義の憤怒と不正への挑戦は 神々をも震撼させて止まない

この地上に 貴方以前に芸術はなく 貴方以後に音楽もない
”音楽こそ神々にもっと近いもの それ故音楽家こそ神々のもっとも近くにいる者”

神々の領域を地上にもたらそうとの企てに 人間を汚辱せずにはいられない嫉妬の運命の挑戦

酒乱の父 度重なる殴打
貧困と 最も愛する身内の裏切り
精神を理解せぬ 軽薄なビーダーマイヤーのウィーンの聴衆
そして神々の旋律をつなぎ止める奇跡の聴覚の喪失

ああ、なんと運命は過酷に残酷に貴方を妬めしことよ
なんという不正と無理解が 妖怪のごとく貴方を悩めしことよ

しかもなお 不可能を前にして一歩も引かない貴方の挑戦は
人間が ”それでもなお” 自らの運命を自らで決めゆくことを
古代の神々とは 偉大な人間に他ならぬ事を指し示してくれた
人間とは卑小な貧しい存在ではなく  奇跡そのものであることを
この芸術を越えた芸術に この天と地上を結ぶ限界への登攀に
私たちもまた 連なりゆく未来を教えてくれたのだ

schale

                    
”愛される者より愛する者は常に偉大である”
このかなわぬ恋に悩む、ある若い詩人にリルケが送った言葉ほど偉大なものはありません。
偉大な人生、偉大な芸術とは、与えて与えて遂には自らからが滅び去るまで与えて止まぬものなのです。

フランスの批評家アランは、あのトルストイの戦争と平和を50回読んだといいます。
ちょうど太陽の前では、あらゆる存在が燃え尽きるように、炎に近づきすぎる虫達が焼き焦がれるように、偉大な芸術の前にただ身を任せ、卑小な私たちはその前で押しつぶされ、なすすべもなく圧倒され、叩き付けられるほかないのです。

ベートーベンの難聴については現在でも諸説があり、定説はありません。
幼年時代の父親による殴打説、梅毒説、ワインによる鉛毒説。
ともかく三十代の芸術家としてもっとも充実した時代に、それはあまりにも過酷な運命として襲いかかってきました。

生涯に70回以上引っ越しをしたと言われるベートーベンの住居の大半は、ウィーンとその周辺にあります。
その現存するはいずれも二部屋ほどの質素極まりない小部屋。
冬はまだ市壁の残るウィーン旧市街で、夏は主にハイリゲンシュタットやバーデンなど、郊外のウィーンの森の農家の一室でひっそりと暮らしていました。
生前から高名な音楽家であったため収入は十分あったはずですが、甥を巡る訴訟や、その他の不明な人間関係のため浪費されていたようです。
身長は160センチ少々、当時としても小柄だったようです。

このような激情的で生涯孤独なベートーベンも、幾度かの恋愛を経験しています。
そして天才の恋が常にそうであるように、それは生命を賭けた激しく熱情的なものでした。
しかしこの卓越した天才にして、徹底した理想主義、自由主義者、そして激情家のベートーベンの恋が、常に”不可能の恋”であったのは当然なのかもしれません。

この失恋と難聴の重なるもっとも辛い時期にまた、最も美しい後世に残る作品の数々を残していることに驚きを禁じ得ません。
”ロマンス ヘ長調”はそんな時期に書かれたものの一つですが、悲しい思いや悲劇的なものを感じさせるものは何もなく、どこまでもおだやかで美しく、伸びやかで屈託のないものです。私はそこに天才のあまりにも大きな偉大さと、想像を絶する生命力を感じずにはいられません。
彼にとって恋とは奪うものではなく、どこまでも与えるものであったからです。愛する事にこそ意義があるのであって、愛される事にあるのではない。
この激しくも、大きな大河のような豊かな生命に、深い深い感銘を受けるのです。

schale


ベートーベン ロマンス ヘ長調 
http://www.geocities.jp/h_ikem/romanzfv.htm  
Ikemyさんのご好意により提供していただきました

こちらでは20世紀最高のバイオリニスト、ユーディ メニューイン氏のストラディバリによる演奏。著作権の問題がありそうなので、削除するかもしれません。
http://www.youtube.com/watch?v=21fPNI9sPBc

”運命への挑戦”は不定期に、逆境に立ち向かって人生の意義と、人間の力を示してくれた偉業を取り上げたいと思っています。
予定はヘルマン マイヤー、私の友人達、またベートーベンは数回取り上げる予定です。

写真 schale  カメラ Canon 1Dsにて

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# by schale21 | 2007-03-08 09:56 | 運命との闘争 | Comments(10)

薔薇のカデンツ

今はただ耐えること、耐えることが全てです
  ライナー マリア リルケ


神々の思惟は、ふと完美の姿に佇んで、
人間の思惟にまじわり、
目に見る光の深淵の姿に現れると云う
何処から来るのだろうか、あの重い光の顔貌。
たとえば子午線を越えた、真昼の太陽が、
誰はばかる事もなく、ふりそそぐをごりに似て。

ーーー

薔薇花よ。花咲くと言う、
未知未聞の出来事を、
告知する花よ。
新しい輝きの質量の只中に歩みて、
刹那刹那の驚きを、しかもなほ
優しさのあまり、悲しくて、眼閉じて、
身を慄すよう。
生まれ、死ぬ生命の出発の由々しさを、
腹に秘め心に決めて全身に
知る緩徐調(アダジオ)の素晴らしさよ。

ーーー

夢。この世のむごき、悲しみに、
途絶えがちな夢ではない。
眼に冴えて、真昼間に見る夢にこそ。
きびしくて、一点のゆるみなく、
おごそかに重ねて絃に、歌うがごとく。
荘厳なる銀の喇叭の、
尖塔を建つるがごとく。
全て秩序。ー 全て音と肉体の旋律の渦巻。
全て美の計算の分列の式典。
何という光の高等数学。なんという四次元の、
完全な法則が、花を開き、灯を点じるよ。

ーーーー

自然よ。この美の一点にあつまらんとして、
いかに多型を思索し、いかに永い試練を重ね、
いかに惜しみなく、生命を浪費し、
悲しみと別離の涙を溜めしことよ。
まことに、高々といま、掲げらるべき
惨苦の永遠の成果よ。

故に美は、その永い苦しみの故に、
互ひに出来事を知り、なつかしみ、招き合う。
又血縁の悲しみは、比類のない高峰のように、
寂寥の中に輝いてひとり、
ほとんど名状し難い追憶を訴え、語るという。

 芳賀檀 ”薔薇の悲歌”より”


ダーウィンの生存競争という概念は、生物学を越えて、人類の生き方、哲学に巨大な影響を与えました。それは今日の経済学に最も端的に現れています。

自然と宇宙の本質が、また人生そのものが永遠の戦いであることは疑う余地はありません。
しかし、それは本当に他者の幸福を奪い取ることで自らを養うという戦いなのでしょうか。
あるいは宇宙の本質は与えるための永遠の戦いではないのでしょうか。しかしこれは一つの仮説に過ぎません。

美は恐るべきものであり、それは極限の戦いの成果であり、決して易々と人を近づけるものではありません。
しかし、その戦いはちょうど太陽がそうであるように、無限の贈与への意志の結晶である気がしてなりません。
つまり、自然の意志の本質は、奪う事ではなく、贈与への意志にあると。

その戦いの本質は耐え抜くことにあります。
何故なら愛はそれ自体際限のない苦しみであり、自らを省みない惜しみない贈与であるからです。
”それにも関わらず世界は美しいのです”(エルンスト ベルトラム)と。

schale

Photo by schale
EOS1Ds, EF24-70F2.8, EF70-200F4

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# by schale21 | 2007-02-01 09:40 | 詩と文学 | Comments(16)

極限への旅のいやはてに立つ予言者は、みな美しく幼い顔貌であった。
                                    芳賀檀  『アテネの悲歌 第5 贈与の書』 より



最後まで歩み通さねばならぬ道がある。
たとえ辛くとも 冷たい雨に濡れても
激しい氷雪に 頬を打たれても
進まねばならぬ道がある

時には 長い道のりを やり直させばならぬときもある
出会う幾千の分かれ道に 自らの歩みを疑う事もあろう
だが 歩みだした道は たった一人で 歩き通さねばならない

絶望に陥る時 希望は自分自身のなかに見いださねばならない
そして 立ち止まって休んだら また歩き出すのだ
性懲りもなく 打たれても 打たれても
まだ懲りないのかと 呆れるほどの忍耐と無頓着さで
歩み続けるのだ

だがその道は 最初からある道ではない
それは君自身が作る道なのだ

ある人は 不可能と嘲笑するだろう
だが 不可能という言葉ほど 甘味な正当化の言葉はない

ある人は そんな努力はナンセンスだと 知ったかぶりの評価を下すだろう
だが自ら参加せぬ人 手を汚さぬ人は 永遠に不幸であり孤独なのだ

惨めな似非評論家どもの 嫉妬の批判も歯牙にもかけず
君自身の道を歩み抜くのだ

schale



人生はある意味で短く、ある意味で長いものです。
しかしその幸不幸は、結局自分自身の責任でしかない。
それは人が決めるものではなく、自分自身が決めるものだからです。
現在はあらゆる知識が豊満し、全ての人が評論家であると同時に、単なる傍観者、自ら手を下さぬ批判者にすぎなくなった感があります。

偉大な生物学者のルネ デュボスは、人間が極地や砂漠にまで住んでいるのは、生物学的な科学では説明できないと言っています。
それは功利を越えた不合理だからです。
つまり人類は、そんなところに住む必要はないというのです。他の生物のように、自分の生物学的に最も適した環境に留まっていれば良かったのだと。
それは標高2000mのケニヤの高地です。
そこでは、衣服もいらず、暖を取るための苦労もいらず、食料に恵まれた不自由のない環境であると同時に、そこを出る事はすなわち、決死の戦いを強いられることを意味しています。

では何故、人類は地球のあらゆる過酷な場所にまで広がったのか。
それは科学では解明出来ない何か、人間の中に、限界への挑戦と、未知の冒険を求める傾向があると言う意外に説明はできないというのです。

私はこの考察が正しいかどうか知る由もありません。
しかし、20世紀最高の生物学者とも言われる科学者が、このような結論を下さざるを得なかったことに、深い意義を感じています。
それは、科学と詩との融合を考えた、ゲーテの思考を想起させます。
光の性質や、鉱物の組成を考察した科学者ゲーテにとっては、自然科学も詩も、何ら矛盾するものではありませんでした。
この点でのニュートンとの激論は有名なものです。
彼が指向したのは、詩としての科学でした。
宇宙の真理は、精神的なものと物質的なものを総合的、融合的に捉えてはじめて理解し得るものであると。

人間の危機は、人間存在を、物質と功利に還元して考えることの危険性に他なりません。
それは現在の科学の限界でもあります。

21世紀における遺伝子の解明は、今後も将来に渡って大きな影響をもたらすでしょう。しかし、それは人間存在の解明の、ほんの一部
分にすぎない事を信じています。


撮影シャ−レ
カメラ  Canon 1ds, 10D, レンズ 24-70F2.8

ウンタラー氷河上の瓦礫の道

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ビーチホルン 3945m 連峰を望む


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高地の村に水を引くため、断崖に作られた水の道 バリス州
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アレッチ氷河


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# by schale21 | 2006-11-15 07:05 | 詩と文学 | Comments(11)

子ども達と未来

希望と未来
”真の勇気は希望のないところにも不動である” 芳賀檀


この世のあらゆる悪と絶望が 君の勇気をくじく時
想像を絶する悲惨と残忍が 人間への信頼を その根底から破壊する時
真のダビデは立ち上がる

その無限の勇気の 再びの証明 天空に響く雄叫び
巨怪のゴリアは 醜い小人
不可能の壁は 花に遊ぶ楽しき遊歩

その時 勝ち誇る傲慢と不遜の権力は
無価値 無力の亡霊であることを知らしめるのだ

絶望と落胆の死か 希望と勝利の死か
いずれにしても 一定の死を前にして 何恐れるものがあろう

彼らは死を恐れ否定する
我らは恐れない 
恐れるべきはただ 無意味な生 空虚な生
愛と献身を知らぬ 怯墮な生

いかなる権勢と暴力とが 立ちはだかろうと
未来は 真性の勇者のものなのだ

シャーレ


人の人格の多くは、子供の時代に決まってしまうというのは真実かもしれません。
それは、人生でもっとも大切なものは何かを学ぶ時だからです。

子供達が友情と、人の絆の大切さを学ぶ時、また自分と他人の生命が、かけがえのないものであることを学ぶ時、現在の、いかなる閉塞の闇も破られぬことはないと信ずるのです。


撮影シャーレ
Canon 1Ds EF35mmF1.4, EF24-70F2.8, EF50mmF1.4

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写真提供 Larry Williams
南仏 エクサン プロバンスにて
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Larry Williams
オーストリア、チロル州、Innsbruck郊外の集合住宅の建築に伴い、撮られたそこに住む人々の写真。(商業用のため、場合により短期間で削除する可能性があります)
転載を固く禁じます。
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# by schale21 | 2006-10-19 05:03 | 詩と文学 | Comments(6)

永世武装中立


山岳民族の独立心が強いのは世界的な傾向である。
オーストリアチロル、ドイツバイエルン、コーカサスの諸民族、チベット、クルド人、みな独立を守るため、激しい戦いを戦って来た。

スイスの英雄、ヴィリアム テルは伝説上の人物であるが、多くのスイス人にとっては実在の人物である。(実在を信じる人は約半分?)
いずれにしろ、シラーの戯曲によって世界的に知られることとなったこの人物の人格が、スイス人にとってもっとも重要な”実在”である事に変わりはない。

様々な面で、世界でも特異な国であるスイスの特徴的なことの一つは、この200年間、戦争に巻き込まれなかったことである。ナポレオン戦争を最後に、戦渦を直接には被っていない。
このことは、その盤石さを象徴するかのような山岳景観と相まって、スイス人の心理に決定的な影響を与えている。
彼らに取って世界は変化しない不動のものなのだ。
焦土なった日本やドイツでは、いかなる物事も激変し、失われることを知っている。

スイスの武装中立概念は、多くの国で受け入れられ採用されているが、その為には、自前ですべてをまかなうための豊かな経済力、国民の自主独立の精神、侵略戦争に対する絶対的な拒否などが条件となる。
この国のプロテスタンティズム的な功利主義、現実主義は、その政策の実現と維持に決定的な影響を与えている。これは単なる政治政策の問題ではなく、国民の生きる為の哲学の問題といえるだろう。

アルプスの、不動に見える巨大な山々の多くは自然の要塞である。そこのは多くの地下基地が作られ、核戦争にも耐えられる準備がなされている。
一つの山全体が、巨大な基地なのだ。山腹からはカタパルトで、主要戦闘機のF18が運ばれる。その全容は外部からは知る由もない。
山中の滑走路は普段は開放され、人々にサイクリングやインラインスケートの絶好の場所を提供している。
地下に格納された航空機の離着陸の際にのみ、ゲートが閉まり閉鎖される。
それが終わるとまた、自由な出入りの場となり、そばでは牛が草を食む平和な光景が繰り広げられる。
ここでは平和と、それを守る為の軍事は、いずれも共通した境のない日常のものなのだ。
また、今日の世界状況で、高価な最新兵器やシェルターが、有事に役に立つ事を信じている人はいない。
だが、それを撤廃することを考えている人もまたいない。それは必要なくとも必要な、保険に似ているのかもしれない。

国民には銃が配られ、自宅に管理される。有事に備えたものだが、それによる事故、犯罪は皆無である。いかに国民の自己管理の意識が発達しているかの証左といえるだろう。

世界有数の優秀な装備と準備を誇るスイス軍。
戦争を事実上知らないその軍隊が、実戦でどの程度のものかはわからない。
しかし、テルの時代から、圧政よりは死という独立の精神は今日も変わってはいない。



写真はアルプス山中での航空訓練の披露ショー
会場は戦闘機機関砲の射撃訓練場。標高2400m。徒歩約2時間。


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# by schale21 | 2006-10-13 08:25 | 平和への構想 | Comments(10)

異邦の旅人

旅人
”アレキサンダーですらインダス川で敗退せねばならなかった。
彼を敗退せしめたのは、権力や武力ではなく、ただ一人の、全く権力も武力も持たない一介の赤裸の乞食、しかし勇気のある一人の賢者の言葉でした。
私はいかなる権力も武力も、一つの勇気、一つの知恵には対抗しえないことを信じています。”
                                                                   芳賀檀 ” 友情の書”より


遥かに故郷を離れ 汝の中に故郷を探す旅人よ
永遠の別離に 出会の奇跡を知る旅人よ

喪失こそ 豊穣の証であることを知る旅人よ
漂白の中に踏みしめる大地こそ 故郷であることを知悉している その知性
何物をも欲さぬことをこそ欲する その自由 奔放 磊落

関節を踏み外した世界の中に たった一人で彷徨う健常者は
まるで 天と大地を結ぶ 魔法の体現者

この精神の王者の前では いかなる地上の王も権勢も
平凡な善人にすぎないことを知る
生まれながらの平等という 古代からの聖者たちの真理を知悉する
彼こそ 世界の真の知識の所有者なのだ

シャーレ


偉大な人間の多くは、私たちの周りに知られる事もなく暮らしています。
ある人は豪邸を構える長者として。ある人は橋の下に暮らす人として。
ある人は誰でも知る有名な人として、ある人は忘れ去られた老人として。
しかし、偉大な人はいかなる境遇にあっても汝自身を知っている。
そして人間の境遇が、その纏う衣装にすぎないことを知っている。
今日は王を演じよう、今日は孤独な青年を演じようと、いずれにしても人生を楽しみきる事を知っているのです。
その自由な人は、いかなる権力を持ってしても財力を持ってして誘惑することは出来ない。
その人こそ、真の力の保持者なのです。なぜなら、彼こそ汝自身を制覇する人だからです。
いつの時代でも、そんな真の権力の保持者を、地上の権力者達がもっとも恐れ、排斥しようと試みたのは偶然ではありません。


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# by schale21 | 2006-09-26 07:36 | 詩と文学 | Comments(6)

何処へ

危機の中に 救済の勇者また 成育す
Wo es Gefähr gibt, wächst der Retter auch.
ヘルダーリン


何処へ

あなたがその生涯の始めに
出会った月は 淡い薄明の中に輝いていた
光は太陽のようにあたたかく そしてまた 幻のように暗かった

存在の根底に降り立つ時 いい知れぬ孤独と戦慄が襲う
それは同時に 精神の貴族の避けられぬ運命

そのためらいは 貴方自身に出会うことへのためらい 逡巡
未知への旅立ちへの 不安

しかし 砂漠の向こうにも太陽は昇る 遥かな大洋の彼方にも 
最も深い孤独に沈む少女にも 死を賭けた旅立ちへの喜びと 戦慄におののく青年の前にも ひとしく太陽は昇る

それは 最も奥深い はるかに下界を見下ろす山の彼方に 咲く花に似て 
その極限の美しさも 全力を賭けた生の輝きも 
決して 誰にも見られることがないのを  知っているのに

そうだ それは彼自身が 彼女自信が太陽であることの証左なのだ あなた自信が太陽であれば もう暗闇もなく 孤独もない

僕が 僕自身が太陽であろうと誓った時
貴方が 貴方のその未聞の輝きで 周囲を照らそうと誓う時
あの漆黒の暗闇も 四方を囲む戦慄の孤独も 輝きの一瞬に変わるのだ

そのとき貴方は 不正と残酷の世界を変える 真正の勇者となるだろう
あの奇跡を体現した 一輪の花にもまして 
美と 安らぎと 天使の包容の暖かさを 世界に贈るだろう

冬を越えて咲く花に似て 悲しみの彼方に 希望の鐘音を聞く
貴方の勝利がまた 私達の勝利であることを信じて

schale



私たちは毎日、世界中の多くのニュースを目にし、耳にします。
その中で、耳を疑うような残酷な犯罪や、胸を痛める悲しい事故の悲報に触れ、たとえ一瞬でも自分に出来る事はないかと問う事があります。
そして、”悲しみの共有”を通して、世界が一体であること、地球がもやは大きな一つの村にすぎない事を実感しています。

しかし人類の最も大きな犯罪、もっとも大きな悲劇である戦争は、今日も尚、続いています。
それは正当化され、理由づけられ、避けがたい必然として受け入れられ続けています。
なんという矛盾、なんという無神経な感性の枯渇。
しかし、この矛盾の中にこそ大きな秘密が隠されている気がしてなりません。

人類の運命を変えるのは、一人の英雄でもなく、想像を絶する天才の力でもなく、平凡な人間、ただあたりまえのことをあたりまえと感ずる、健康な精神の持ち主であることでしょう。
だまされ、踏みにじられることを潔しとしない潔癖な精神、奴隷にも独裁者にもならない独立の精神、いかなる権力の魅惑にも惑わされない決定的な免疫の持ち主。

人間の歴史の不正は、平凡な人間が、卑小な存在であるという大きな嘘、プロパガンダの上に成り立っていました。
それは長い間、人類の最も大きな”秘密”だったのです。
世界を変えるのはあなた自身であること、その人の心に宿る無限の可能性を信じる事、それこそが世界を変え得る唯一の力なのです。

あの絢爛なイタリアルネッサンスは、ローマの不正と、漆黒の闇のような精神の牢獄からの開放でありました。それは人間自身にこそ価値があるという、古代の知恵への回帰でもありました。
また、もっとも深い堕落の時代に咲いた一輪の花でした。

500年後の今日もまた、袋小路の最後の終着点で、”全ヨーロッパで、100人の天才が立ち上がったルネッサンス”(ヤーコブ ブルクハルト)にかわって、万人の”平凡な英雄”が立ち上がるときが来たのかもしれません。

あなたが、あなた自身の可能性に目覚めるとき、人間の新たな歴史が始まることでしょう。




   

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# by schale21 | 2006-08-07 06:13 | 詩と文学 | Comments(18)

奇跡の年


”世界を変える偉大な思想は鳩の足音の静けさで歩んでくる” 
ニーチェ

1905年、無名の若き天才、ベルン特許局の小役人であったアインシュタインは、彼の少年時代からの思考に一つの結論を与えることに成功した。
いわいる特殊相対性理論の完成である。
これによって不変の空間と時間の中に生きる、ニュートン以来の古典的な世界観は激変することとなった。

万物が相対的であると言う考えは、一神教的な絶対神の支配する精神世界ではまさに画期的であった。

しかし、時間や空間が相対的であるという概念は、古代インドの哲人や、仏教徒にとってはなんら異質なものではない。

西欧にいても、偉大な哲学者であるアウグスティヌス、イタリアルネッサンスの天才、迫害と殉教の生涯をおくった、ジョルダノ ブルーノなどにとっては宇宙も時間も相対的なものにすぎなかった。

晩年には、物理学者になった事自体を恥じて、政治的問題への責任と関心を募らせる。また、人間自身の解明と進歩なくして、人類に未来がないことにも警鐘を鳴らし続けた。

真理の解明ではなく、人間の幸福の追求こそがより重要であるとの思いは、晩年のトルストイも同じであったのかもしれない。

絶対的なものへの憧憬は、人間の自然な心理であるのかもしれない。
しかし、私たち自身に価値を置くという規準以外に、いかなる外の規準も相対的であることを免れない。
それは、人生が不安への入り口ではなく、波瀾万丈のドラマの幕開けであることを告げているかのようである。
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# by schale21 | 2006-05-18 20:12 | 詩と文学 | Comments(9)